日本の真の食料問題

藤原 辰史 農業史研究者
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「令和の米騒動」というが「大正の米騒動」とはレベルが違う。1918年の夏は、米蔵が燃やされるような暴動が各地の都市で発生した。あと数日で米びつが空になるかもしれない。低所得層のそんな絶望から湧き起こる力は尋常ではない。食うためならば手段を選ばない。この勢いは歴史法則といってもよいほど、ことごとく権力者を打倒してきた。フランス革命、1848年革命、ロシア革命、ドイツ革命。どれをとってみても食料危機が原因でなかったものはない。

 ところが2025年の日本は、役所の窓口や商社や農協の倉庫に民衆が押しかける、ということはなかった。暴動が起きればよかったのに、と言いたいわけではない。パニックを極度に恐れる「日本人の美徳」は今回もまた、暴動の芽はもちろん、食料政策の根源的変革の芽までもしっかりと摘んだのである。原発事故でさえ日本のエネルギー政策を根源から変えられなかった事実と似ているかもしれない。備蓄米の放出などで「なんとなく」問題が解消されたような錯覚に人々は陥った。

 だが、日本の食料問題は依然として解決されていない。今後の気候変動や戦乱の中でも海外依存型の食料供給が安泰である保証などどこにもない。とりわけ今回、低所得者は食費上昇で家計が圧迫され、教育費を含む重要な出費を断念した。フードバンクや子ども食堂を訪れる親子も増えた。にもかかわらず、近年、国家の規制緩和政策の恩恵を受けた富裕層は、飢えに苦しむ意味が理解できないほど潤い、今回の問題の深刻さに気づかなかった。

 世界史をひもとけば、古代ギリシアのポリスの民会でも、現在のウクライナなどの穀物地帯から黒海沿岸にギリシア人によって築かれた港から運ばれてくる穀物を、どのように配分するかが重要な議題だった。このように植民市を食料基地として支配する手法は、16世紀になって植民地を支配する手法に強化される。スペイン・ポルトガルからナチスにいたるまで、それは変わらない。ポルトガルはブラジル東北部をサトウキビ地帯に変えて、土壌を荒廃させ、先住民の自給圏を破壊した。ナチスは、戦争中に兵士とその家族を食べさせる食料の確保が困難と予測してから、余剰とされた小麦を軍隊と本国に輸送する「飢餓計画」を発動し、ソ連から奪った土地の住民を3000万人飢えさせた。

 第二次世界大戦後の欧米や日本の企業は世界食料市場をめぐって激しく争い、シカゴをはじめとする穀物市場で、備蓄し投機して成長を遂げた。これらの企業による植民地的支配に対する小国の抵抗はほとんど失敗に終わっている。

藤原辰史氏の著作(『食権力の現代史』)

 私は、食やそれに必要な技術の寡占を通じて人々を統治する国家や企業の力を「食権力」と名づけ、研究を進めてきた。その結果、日本の人々に食権力意識が著しく欠けていることに気づいた。食料自給の著しい低水準は「権力」の問題である。たとえば、イタリアが外来食品企業の進出を「スローフード運動」で防いだのに対し、日本は、ファストフードから列島の自然に根ざした食文化と農業を守ることを怠ってきた。日本が誇るファストフードの天ぷらやうどんに必須の小麦でさえも85%、和牛や黒豚の飼料も7割以上が輸入品であることはその一例にすぎない。2021年の統計によると、日本が国産の食料によって得ている熱量は38%にすぎず、逆にアメリカに23%、カナダに11%も依存している。アメリカに刃向かえば、深刻な食料不足になる。アメリカの食権力は、日本が見事なまでに国家の自主性を失っている証拠の一つである。

 ところが、今回の米不足と米価上昇に直面したときに、日本の人々の不満は、食を他国に依存しない農業国の建設に転化されなかった。農協や政治家に矛先を向けたあと、価格が下がると国民は関心を失った。飽食時代が例外であるという歴史感覚こそ、私たちに最も求められている時代的構えである。

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source : 文藝春秋 2025年11月号

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