“作文教育”が各国の“社会”をつくっている
「論理的である」とはそもそも何を意味するのか――「論理は普遍的に通用する」、つまり「論理的思考が存在するとすれば、世界的に通用する」と思われがちですが、実は「論理的であるかどうか」の基準は「文化」によって大きく異なるのです。
こう述べるのは、名古屋大学教授の渡邉雅子氏だ。ベストセラーとなり、第34回山本七平賞を受賞した著書『論理的思考とは何か』(岩波新書)は、各国の作文教育に注目することで「文化=思考の型」(アメリカ=経済的論理の重視、フランス=政治的論理の重視、イラン=法的論理の重視、日本=社会的論理の重視)を明らかにし、「日本語は曖昧で、日本人は論理的に考えることが苦手である」という偏見を覆した。渡邉氏の目からウロコの研究は、学生だけでなく大人にとっても、文章の型(=思考の型)を自覚し、これを磨く上で多くのヒントに満ちている。

「論理的思考は『ひとつ』ではない」と気づいた最初のきっかけは、アメリカの大学に留学して、エッセイと呼ばれる小論文を提出した時です。「評点不可能」と赤ペンで書かれて突き返された時の“衝撃”は今でも忘れられません。その後、どんなに丁寧に書き直しても、「何を言っているか分からない」「もっと説明しなさい」と返され続けました。
アメリカ式エッセイの型
そんなある時、大学の授業で「エッセイの書き方」を学んだのです。いったんアメリカ式エッセイの構造に則って書き直すと、評価が三段跳びでよくなりました。これが私にとって、さらなる“衝撃”でした。
というのも、この間、英語が急に上達したわけでも知識が格段に増えたわけでもなかったからです。なのに、型に沿って書いただけで、こんなにも成績が上がる。それまで重要だと思っていたことは書く必要がなくなり、すると、最も重要であるはずの「結論」も変わってしまう。こんな不思議な体験をしました。
当時、エッセイの教員に「日本人のエッセイとアメリカ人のエッセイはどこが違いますか?」と尋ねてみた時のこともよく覚えています。
「そう言えば、日本人は、『And then, and then, and then(そして、それから、そして)』と、これが起こって、これが起こって、これが起こって……と出来事を時系列的に、並列的につなぐけれども、アメリカ人は、『Why, because(なぜ?なぜならば)』と理由と説明を因果関係的につなぐ。アメリカの家庭では、『あなたは何がやりたいの?』『私はこれをやりたい』『なぜなら……』と、もう3歳にもなれば、こういうやりとりを親子間でしているから。確かに日本人はそういう書き方をしないね」
こう言われた時も雷に打たれたような“衝撃”でした。この時に掴めた“文化の違い”が、そのまま私の研究テーマとなり、それから飽きもせず40年近くも比較文化研究を続けています。つまり、「思考の型」は文化や社会によって異なり、それは「作文の構造」によって培われ、それぞれの教育の過程で身につけられるものだ、というのが私の“発見”だったのです。
「作文教育」に注目した私は、『納得の構造――思考表現スタイルの日米比較』(岩波現代文庫)という本で、日本とアメリカの子供たちが同じ絵(四コマ漫画)を見て、どのように説明し理由づけるかの違いを明らかにしました。最後のコマで主人公ががっかりしているのですが、日米の典型例を取り上げると、理由付けの仕方はこんなにも対照的なのです。
【日本】(けんた君はしょんぼりしています)なぜかというと、テレビゲームをおそくまでやって 朝ねぼうしてしまい 乗るバスもまちがえてしまって 試合におくれて出られなかったからです。
【アメリカ】(ジョンはしょんぼりしています)なぜかというと、試合で投げられなかったからです。
日本の子供は、「なぜかというと」という接続語に続けて、6割以上が四コマの説明を時系列で繰り返しました。それに対してアメリカの子供は、「時系列型」も3割はいたものの、他のコマの説明を切り捨てて、「結果」に最も近い四コマ目だけに言及する子供が3割もいたのです。
「因果関係」と言っても、アメリカのそれは、「結果」を引き起こした「最も強い原因」に注目する「優越因果説」なのに対して、日本のそれは、いわば「縁起説」と言えるでしょう。言語学者の井筒俊彦によれば、(縁起説においては)「すべてのものはそれぞれ他に依存し、他との関係においてのみ、仮に自と現れているだけ」なので、この考え方に立つと、そもそもひとつの原因を特定すること自体に意味がない。私達にできることは、因果が作用し合うあらゆるものの関係性を意識しながら、出来事を起こった順番に辿ることだけです。しかし、こうした「日本的な説明」は、アメリカの教育の場では「因果関係が理解できていない」、「論理的でない」とみなされるのです。
四つの異なる“論理”
このように言うと、「日本と西洋の違い」に思われるかもしれませんが、そうではありません。たとえば、日本では「西洋」と一括りにされることが多いアメリカとフランスでも、作文の構造はまったく異なります。
アメリカ式エッセイは、部分的な因果関係に注目し、主張に関係しない要素を削ぎ落すことによって、複雑な世界を単純化することに主眼が置かれるのに対して、フランス式小論文は、〈正―反―合〉の弁証法の型に則って、常識的な見方とそれに反する見方を提示しつつ、最終的にその二つを総合して矛盾を解決することに主眼が置かれます。
この違いは、「作文を書く目的」の違いから生じています。アメリカ式エッセイの目的は、自己の主張を分かりやすく効率的に論証して相手を説得することにあり(=ビジネス・経済的論理の重視)、フランス式小論文の目的は、時間をかけてあらゆる可能性を吟味し矛盾を解決することにある(=政治的論理の重視)。
私の研究は、日米だけでなく、フランスも比較対象に含めることで、ある種の“飛躍”を遂げました。
実は、博士論文の指導教員から「フランスも第三の比較対象に加えるといいね」と言われていたのですが、日米の比較だけで手一杯になっていた私は聞こえないふりをしていたのです。しかし、日本への帰国後、海外での研究の機会に再び恵まれ、同僚から「フランスに行ってみたら」と勧められた時に指導教員の言葉を思い出し、当時は仏語もできなかったのに行くことにしたのです。
それからしばらく後のことですが、国際日本文化研究センターに勤めていた時、私の日米比較の博士論文に興味をもったイラン人研究者が訪ねてきて、これがきっかけでイランへの道も開けました。
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