親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル
母と外出するときは必ず弟が一緒だった。どうして父と二人きりで外出するようになったのか、よく覚えていない。
父と出かける先は、秋葉原が一番多かった。京都大学工学部で航空力学を学んだ父は、石川島播磨重工業(現・IHI)の航空機の部署に配属されたが、純国産の航空機の開発は難しく、米国製の航空機エンジンのライセンス製造が父の主な仕事になっていた。そんな鬱憤を晴らすためか、それとも単にモノづくりが好きなのか、休日の父は、ラジコンの飛行機や船を作ることに没頭していた。その材料を探すために秋葉原の電気街に出かけるのである。
迷路のような薄暗い路に小さな電気店が軒を連ねる。私の胸の高さほどのベニヤの平棚の上に並んでいるトランジスタやコンデンサーなど小指の先ほどの小さな部品を、父はひとつ摘まみ上げて眺めては元に戻す。どの客も似たようなことをしていて、たいていは無言だ。正月の浅草寺ほど混雑しているのに、不思議と静かだった。そうやって、小一時間ほど電気街をぶらついた後、万世橋のたもとの「肉の万世」でお子様ランチを食べさせてもらって、中央線で帰る。

3ヶ月から半年かけて父が作った飛行機やヘリコプターは、たいてい初飛行の日に墜落して大破した。薄給の中から夫の趣味のために大枚をはたいた母はご機嫌斜めだった。私は、「落ちたのが仕事じゃなくて趣味のほうの飛行機でよかった」と内心ほっとした。
今は東京ミッドタウンになっている六本木の防衛庁に一緒に行ったこともある。急ぎの書類か何かを持っていかなければならなかったのだろう。「ここで待っているように」と言われた食堂は、平日は数百人の人が一斉に食事をとるのだろうが、休日は人影もなくしんと静まり返っている。小学生の女の子が、ひとりで座っているのを見かねた食堂の人が心配をして、「お嬢ちゃんどこから来たの。だいじょうぶ?」と声をかけてくれ、頼んでいないクリームソーダを出してくれた。
父との外出はいつもそんな風で、遊園地はおろか、デパートのおもちゃ売り場にさえ足を延ばすことはなかった。それでもどういうわけか、嫌がることもなく、私はおとなしくついていったらしい。
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