鬱を隠していた母

復活拡大版27組 おふくろ編

村山 斉 物理学者

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親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル

 親を3人亡くした。実の母が亡くなったのは私が高3の時。父が9年前。2人目の母が3年前。今になってわかることがたくさんある。

 父と実母は日立製作所中央研究所で社内結婚、母は寿退社。当時の写真を見るととても幸せそうだ。結婚1年後生まれた私は好奇心旺盛で、あれこれ「どうして?」「どういう仕組み?」と尋ねる、大人にとっては鬱陶しい子供だ。でも父は研究者だったので、「なぜなに」本をたくさん買ってきてくれた。一方小児喘息で、一番ひどかった小4~5のときは月に何度かステロイド剤の点滴を受け学校を1/3近く休んでいた。家で見た教育テレビも好奇心を掻き立ててくれた。私がのちに研究者になったのは父の影響が大きい。

村山斉氏 Ⓒ文藝春秋

 しかし今思うと両親の人生は大変だったとわかる。当時の初任給は月1万円強で、生活は楽ではなかったらしく社宅を転々と。英文学を専攻した母は英語の通信教育の採点をして家計を支えていたので、私は保育園に通った。そのうえ喘息の治療費、発作が起きたときのタクシー代などかなりかさんでいたようだ。小児喘息が東京都の公害病認定を受けたときはとても喜んでいた。援助が出たのだろう。公団住宅の抽選が当たってやっと社宅を出た。友達の家はカラーテレビになる時代、自家用車も普及し始めていたが、家にはどちらもなかった。台所のガタガタする食卓で宿題をしていた。

 一方母は体も精神も弱かった。私の後2回流産もしていて、九つ下の妹が生まれるときは子宮頸管縫縮術で防止したようで帝王切開だった。紙オムツの時代ではなく、布オムツを洗うのが大変すぎて、レンタルだった。私もミルクをあげたりオムツを替えたりしていた。蒸れないオムツの付け方や、哺乳瓶のミルク用と果汁用の乳首の違いを学んだのは後で役立った。

 病弱な私の将来を心配した父は転地療養を考え海外勤務を志願し、西ドイツ(当時)のデュッセルドルフの駐在員となり、小6の4月に家族で移住した。特に気候がいいところというわけではないのだが、ありがたいことに喘息はかなり改善し、学校も楽しく運動もできるようになった。反面当時の駐在員はエリート意識が強く、駐在員の「奥様」の社会は難しかったようだ。母は生協で買い物したり、父の出張中は子供2人をつれてドイツ風酒場で食事をして地元の人に面白がられたりして、私は楽しかったのだが、「あら、村山さんそんなところにいらっしゃるの~」みたいな嫌味を随分言われたらしい。母は鬱になり、トランキライザーを服用し、副作用で呂律が回らなかった。

 中3で日本に帰ってからは母の鬱病は悪化し、入退院を繰り返すようになった。妹はまだ小学生。父が仕事と家事を切り盛りするのは、今考えると大変だったはずだ。母は一時帰宅のときも話の筋が通らず、事情を知らない私は「変な母親だ」と思っていた。本人は子供に突き放されて辛かったに違いない。結局私が高3の時に自殺した。その後父から事情を聞いて、私はショックを受けた。私の健康のために命を失ったのだ。

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source : 文藝春秋 2026年1月号

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