世界に衝撃を与えた昨年末のカルロス・ゴーンのレバノンへの出国。逃亡ルートの早期リーク、元特殊部隊員らしからぬ行動……不可解な謎を手がかりに、ゴーン逃亡劇の全体像を検証した。
VIP専用施設の前代未聞事件
〈たまゆらに 昨日の夕(ゆふべ)見しものを 今日(けふ)の朝(あした)に 恋ふべきものか〉
今から約1351年前、万葉集最大の歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が詠(よ)んだ芳(かぐわ)しい和歌。現代風にしてみると――。
〈昨夜の、あなたとの葦瀬はほんの束の間のことで、今朝になってお帰りになるのにも、もうあなたが恋しくて仕方がありません〉(著者意訳)
特に“束の間”という意味の「たまゆら」という言葉にこそ日本語の美しさが凝縮している。
日本人の心に響くその言葉で呼ばれる施設が、大阪の関西国際空港にある。
「プレミアム・ゲート 玉響(たまゆら)」
格安航空会社(LCC)専用の第2ターミナルと一般航空会社の第1ターミナルとの連絡橋にほど近い場所に存在する、プライベートジェット発着専用の施設がそれだ。
利用者限定の車寄せとセキュリティゲートが完備しているほか、ラグジュアリーなラウンジや会議室も備え、そして専用の保安検査エリアとCIQ(出入国管理、税関、検疫)場が用意されている。空港会社が「玉響」と命名した理由は、利用するVIPを心地よくもてなすために“ほんのしばらくお待ち頂くだけで”という思いを込めたとされる。
昨年12月末、このVIP専用の「玉響」を巡って、前代未聞の事件が発生したのである。
しかも、犯行時間は、まさしく“たまゆら”(束の間)に実行されたのだった。
1月中旬、世界のSOF(特殊部隊)のネットワークの中で、ある“話題”が飛び交った。
このネットワークとは、専門機関や特別なシステムがあるわけでなく、西側各国の軍特殊部隊員どうしが情報をシェア(共有)しあう、クローズド(閉鎖された)の、いわば極秘の人的ネットワークのことを指す。情報のシェアの方法は、組織どうしの公式情報交換もしくは、セカンドトラック(非公式な個人どうし)によって行われ、ライブでの接触や電話での肉声はもちろん、メールやSNSも使われるが、発信位置が特定されずサーバーにも残らない暗号メールも活用される。
各国の外交当局どうしのネットワークとはまったく異質で、センシティブ(機微で機密)な情報レベルはそれより強力だ。並外れた軍事技能や優れた思考能力を持つ特殊部隊員たちどうしが互いに抱くシンパシーは、政治、文化、宗教の違いを超越して、多くの場合、すぐに意気投合し、胸襟を開き合うのである。
話を戻そう。
そのSOFネットワークで“話題”となったのは、会社法違反(特別背任)などで東京地検特捜部から起訴された、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告(65)の国外逃亡事件だった。
アメリカのSOFの中核に存在する「SOCOM(ソーコム)」(米国特殊作戦軍)の複数の関係者によると、そのSOFネットワークの中で話題となったのは、「ゴーン被告逃亡事件」(以下、「逃亡事件」)を巡る様々な「嘘」についてだった。
今回、それらの「嘘」とされている内容を集めてカテゴリー別に分類してみた。その結果、3項目の「嘘」が浮かび上がったのである。
あまりにも早いリーク
SOCOM関係者たちが、真っ先に「嘘」と指摘したのは、
「逃亡を手助けした元米国特殊部隊員の動機」
である。
その証拠の1つに挙げたのが、〈マスコミ報道の余りの早さ〉だ。
ゴーン被告が、東京の監視付き自宅から、レバノンの首都ベイルートへ逃亡したのは、昨年12月29日から翌30日にかけてである。
それから1週間もしないうちに、アメリカの大手紙ウォールストリートジャーナルやニューヨークタイムズ、またイギリスの新聞などで、ほぼ一斉に「逃亡作戦」の全容が早々と報じられたのだ。
音響機器の運搬に使う大型の黒い箱の中にゴーン被告を隠し、関空の保安検査、税関と出国審査をすり抜け、プライベートジェットで飛び立ち、トルコの空港を経由して、レバノンへ――と大々的に報道。しかも、計画は3ヶ月も前から開始され、日本の多くの空港を下見した上で、関空に“弱点”があることを発見して実行に移した――と作戦の詳細までが明らかにされたのである。
しかもその数日後には、ゴーン被告を隠匿したその「黒い箱」の写真までも掲載され、さらに作戦を実行したチームのリーダーとされる「元米国特殊部隊グリーンベレー隊員 マイケル・テイラー」(以下、テイラー氏)という名前まで米メディアに紹介された。
逃亡に使用されたとされる黒い箱 ©The Wall Street Journal
同SOCOM関係者が語る。
「1月5日付のウォールストリートジャーナル(電子版)で、『計画を知る関係者の話によると』ということをはっきりと書いている通り、これらの余りに早い報道は、当事者がメディアにリークしなければ明らかにされない事実ばかりです。しかも注目すべきは、それらの報道ぶりから感じるのは、極めて効果的、戦略的にメディアへの情報リークが行われたことです」
ダーク・ビジネスの宣伝効果
そしてSOFネットワークでは、こんな指摘もなされた。
ゴーン被告にとってはこの「逃亡事件」そのものが法律違反である。よって、メディアを通じて逃亡作戦の中身が公にされることは、刑事事件の立件要素の中核を司法に与えてしまうことになる。なぜテイラー氏はそんなリスクを知りながら幸運に賭けたのか――。
ウォールストリートジャーナルによれば、テイラー氏はゴーン被告の逃亡に加担した理由について、“人質にされたゴーン氏に共感した”としている。他の米メディアも、過去、テイラー氏自らも汚職事件で拘束され、1年間も妻子に会えなかった、という逸話を紹介した上で、ゴーン氏に共感した、という“動機”も示している。
だが、別の元グリーンベレー関係者は、「彼は嘘をついており、もう1つ大きな理由を隠している」と断言する。
「テイラー氏が今回のトランスポーター(運び屋)を請け負ったのは、単にアドホックな(一時的な)ビジネスとしてではない。新たな民間警備会社の設立のための『宣伝』として利用するためだ。だからこそ、メディア戦術を行ったのだ。その証拠に、SOFネットワークの一部では、テイラー氏が関与していると思われる募集がすでに始まっている」
SOFネットワークに参加する元米国特殊部隊員で、PMC(民間軍事会社)のスタッフは、「一部の世界で、テイラー氏の“値段”は天井知らずにアップするだろう」としてさらにこう続けた。
「テイラー氏がダークなビジネスを請け負うPMCを新たに立ち上げた場合、今回の事件の『宣伝効果』は抜群だ。金銭次第でリスクを冒すセキュリティコンサルタントを求める連中は、惜しみなく金を投じるだろう」
玉響での不審な行動
SOFネットワークの中で、今回の「逃亡事件」にまつわる「嘘」として2番目に多く指摘されたのは、
「本当に関空から逃亡したのか」
という根本的な疑いだった。
そのポイントとして多くの特殊部隊員たちが注目したのが、逃亡に利用された、関空の「プレミアム・ゲート 玉響」だった。
警視庁などの調べによれば、ゴーン被告の「逃亡作戦」の時系列の概要は以下の通りだ。
12月29日午後2時半頃。
保釈中に住んでいた東京都港区の住宅から、帽子とマスク姿のゴーン被告が1人で外出。その後、徒歩とタクシーで六本木のホテルに移動し、テイラー氏と仲間に合流。
同4時半頃。ホテルから、テイラー氏と仲間、ゴーン被告の3名がタクシーでJR品川駅に到着。
同5時頃。同3名が品川発の東海道新幹線で新大阪駅へ。
同7時半頃。新幹線で新大阪駅着。タクシーで関西国際空港方面へ。
同8時台。関西空港に隣接したホテルの部屋に3名で入室。
同10時頃。テイラー氏と仲間の2人だけがタクシーでホテル発。その時、2人は大きな「黒い箱」を1個ずつ載せた台車2台をそれぞれが押し、ワンボックス型のタクシーの荷台に積載。
同10時過ぎ。2人と「黒い箱」が関西空港のプライベートジェット専用施設「玉響」に到着。
同10時半過ぎ。“音響機器を運搬している”と保安検査員とCIQ係官に申告された、2つの「黒い箱」が、中身のチェックを受けずに通過し、プライベートジェットに積載。
同11時すぎ。関西空港からプライベートジェットが離陸。
翌30日、トルコの空港を中継してレバノンに到着――。
これらゴーン被告の動きの中で、「逃亡事件」を唯一、防ぐことができた場所であり、米国メディアによれば、テイラー氏たちが最も重要視した場所こそ「玉響」だった。
逃亡して日本批判をするゴーン
テイラー氏が見つけた“弱点”はこの「玉響」にあった、と米国メディアでは報じられた。
前出のSOCOM関係者は、問題は、保安検査(持ち物検査)ではないと語る。
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source : 文藝春秋 2020年3月号