戦中最後の沖縄県知事・島田叡(1901~45)。TBS「ニュース23」元キャスターで、映画『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』(2021年公開)を手がけた佐古忠彦氏が見た島田の葛藤とは。

島田叡氏は1945年1月に沖縄県知事として赴任し、6月26日に消息を絶ちました。その最期がどのようなものだったのか、現在に至るまで分かっていません。
私は2013年に放送されたドラマの取材班に加わり、島田氏を深く知ることになりました。45分ほどのドキュメンタリーパートの制作を担当しましたが、この時は短い時間の中で島田氏の人物像や彼が抱えた葛藤を十分に描くことはできなかった。より詳しく島田氏に迫りたいと考え、ドキュメンタリー映画を撮りました。何がそれほど私を駆り立てたのか。それは、あの時代の沖縄という過酷な状況の中で、県民を守るべき知事でありながら、戦争を遂行する国側の人間でもあるという狭間に置かれた島田氏が、何を見て、何を考えていたのか、もっと知りたかったからに他なりません。
兵庫県の医者の息子として生まれた島田氏は、東京帝国大学を卒業後、内務省に入省します。まっすぐで、民主主義的な気質故に煙たがられていたのか、地方勤務が続きました。そして1945年1月、沖縄県知事に任命されます。当時、沖縄には既に米軍の上陸が迫っており、知事就任は即ち、死を覚悟することと同義でした。しかし島田氏は、家族に相談することなく「自分が断れば誰かが代わりに行くことになる」と決意を固めたのです。この決断は、島田氏の潔さを象徴する話として有名ですが、妻や、知事就任の内示を取り消してほしいと内務省に訴えた娘さんのことを考えると、また違った見え方になる。民主主義的な感覚を持つ一方で、当時の価値観も併せ持った島田氏の両面が表れたエピソードのように、私は感じています。
1月31日に着任しますが、3月23日には米軍の本格的な空襲が、4月1日には沖縄本島への上陸が始まります。その間、島田氏は住民の疎開を進め、台湾へ渡って食料の確保にも奔走しました。ただし、北部への疎開は食料の乏しい地域へ住民を追いやった「棄民政策」だという批判もある。台湾の米も、実際に食べたという証言がある一方、届かなかったという指摘もあります。
島田氏はまた、学生を鉄血勤皇隊として戦場へ動員するための覚書にも署名しています。結果だけ見れば、沖縄の若者を戦場へ送り出した責任の一端を担ったことになるでしょう。しかし、当時の知事は内務省から派遣された官僚であり、軍と共に戦争を遂行する側にありました。
元沖縄県知事の大田昌秀さんに取材した際、この署名について尋ねると、「国からの要望ではない。命令なんです」と話していました。拒めば銃殺されてもおかしくない時代だった、と。実は大田さん自身、鉄血勤皇隊として戦場に駆り出された一人です。その大田さんが島田氏について、開口一番、「行政官として尊敬できる本物の人物です」と語ったことには、正直、驚きました。大田さんが強調していたのは、時代背景をきちんと見たうえで個人を見なければ、実相を見誤るということ。そして島田氏に「何ができたのか」だけではなく、「何ができなかったのか。なぜできなかったのか」を考えなければならない、と。
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