藤田嗣治とバレエ

巻頭随筆

芳賀 直子 舞踊史研究家
エンタメ 社会 アート

 バレエと聞いて思い出すのは全幕作品、それも『白鳥の湖』という方も多いのではないでしょうか。

『白鳥の湖』が日本で初演されたのは終戦翌年、1946年の事でした。日本における全幕公演こそがバレエであるという感覚、町の小さなバレエ学校でも全幕上演を目指す姿勢は戦後まもないこの公演が大きな影響を与えているのです。ちなみに、全幕上演としては初演されたロシア国外では1934年の英国に次ぐ極めて早い時期の上演でもありました。

 以来、様々なバージョンで上演され続けている『白鳥の湖』ですが、日本初演の美術と衣裳のデザインを手掛けたのが藤田嗣治だったことは不思議なほど知られていません。

 私がその事実を知ったのは、舞踊史研究を志し、バレエ・スエドワを調べていた大学生の頃でした。藤田と言えば、欧州の美術館の西洋絵画のセクションで見られる唯一の日本人画家です。しかし、彼ほどの知名度をもってしても、彼がバレエや舞台の仕事をしていることは忘れられ、丁寧に探さないとほとんど情報が見つかりませんでした。これは藤田の戦争画問題が落ち着かぬ中で引き受けた仕事だったことも無関係ではないでしょう。

 藤田が初めてバレエの美術と衣裳を手掛けたのは1924年、パリでバレエ・スエドワの依頼を受けてのことでした。

 当時、舞台、中でもバレエ・リュスやバレエ・スエドワとの仕事は無視することができない華々しい出来事でした。

 バレエ・スエドワ(フランス語でスウェーデンのバレエ団の意)は、スウェーデン貴族ロルフ・ド・マレ個人によって結成されたプライベート・カンパニーでした。王を自宅に招くほど高位の貴族で、裕福だった彼はパリに現存するシャンゼリゼ劇場を拠点とするバレエ団を私財で結成したのです。それが1920年、100年前の事でした。活動期間は1925年までと決して長くはありませんが、フェルナン・レジェやジョルジオ・デ・キリコによる美術・衣裳、世界で初めてバレエの一部として映像を映画監督ルネ・クレールの下で撮影、上演するなど活動内容には見逃せない点が沢山あります。

 藤田が手掛けたのは『奇妙なトーナメント』、ギリシア神話をテーマとしたバレエでした。バレエはともかくとして、ダンスは藤田にとって身近なものでした。1913年の渡仏後ほどなくして画家川島理一郎に誘われてレイモンド・ダンカンの下でギリシア舞踊を踊り、器用な彼らしく衣裳を自作したりしていたことが分かっています。

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source : 文藝春秋 2020年3月号

genre : エンタメ 社会 アート