戦後の廃墟の中で角川書店を創業した父・角川源義(かどかわげんよし)(1917―1975)と、事業での華々しい成功と獄中生活の2つながら経験した長男・角川春樹(はるき)。2人は出版経営者であり、俳人でもある。角川春樹事務所特別顧問を務める春樹氏が明かす父との葛藤と「角川家の戦後」
甘いガム嚙んで終戦記念の日
福原悠貴
私が敗戦を迎えたのは3歳の時である。その日は、雲一つない群青の空であった。もはや空襲警報も砲撃の音もなく、生母・冨美子(ふみこ)と家の近くを久し振りに歩いた。その後、間もなくアメリカの進駐軍が押し寄せて来た。進駐軍は白人も黒人も子供達に気前よくチョコレートやキャンディ、ガムなどを分け与えた。3歳の幼児であった私も例外ではない。アメリカ軍の若い兵士達は、のべつ幕無(まくな)しにガムを嚙んでいた。米兵が嚙むガムは、貰って嚙んでみると、実に甘かった。私が米兵から菓子を貰っている姿を、父は苦い顔をして立ったまま眺めていた。その時の父の顔を、今ありありと思い出す。父の苦い顔は、やがて角川書店の設立に繫がってゆく。角川文庫発刊の辞を読むと、そのことが今よく理解できる。甘いガムに対する父の苦い顔は、朗々(ろうろう)たる口調となって格調高く表現されている。

第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。(略)
父といふ火宅(かたく)の人の端居(はしゐ)かな
春樹
城北中学の国語の教師を辞職した父・源義は、練馬区小竹町の自宅の応接間を事務所として、昭和20年11月、角川書店を創業。志の高い出版を目指した源義は、活字に飢えていた戦後の日本人に、次々と名著を刊行してゆく。いくばくかの成功を収めた父は、事業の拡大に伴って、自宅の応接間から飯田橋に事務所を移転。自宅も杉並区天沼に引っ越すことになった。そんなある日、玄関の前に小柄な女性が出勤する父と同行するために、父を迎えに来ていた。彼女は角川書店に入社したばかりの経理課勤務の人だった。名前は中井照子、後に私の母となる人だった。

彼女はその後、毎朝、父を迎えに来た。それから数ケ月後、生母・冨美子と源義の口論が始まった。照子はその後、姿を見せなくなる。男としての気力に溢れていた源義は、若い照子にとって魅力のある上司であった。
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source : 文藝春秋 2007年2月号

