KADOKAWAグループ創業者であり、俳人・国文学研究者としても名高い角川源義(げんよし、1917〜1975)。次男の角川歴彦氏の目に、父はどう映っていたのか。
「一身にして二生を経る」という福沢諭吉の言葉があります。ひとつの身で、二つの生涯を経験するような人生だったということを、表現したものです。これに倣えば、父・源義は、「一身にして三生を経る」ような生涯を送ったと言えるでしょう。
富山県の米穀商の家に生まれた父は、上京して國學院大學予科に入学。柳田國男や折口信夫の薫陶を受け、東亜学校教授を務め、晩年も大学院に出講するなど“国文学者”として活動をしていました。また、学生時代から俳句に関心を抱いており、俳壇・歌壇の興隆に尽力。自らも“俳人”として俳誌『河』を主宰し、句集『西行の日』で読売文学賞を受賞しています。
戦後間もなく、出版の自由が認められると、雨後の竹の子のように出版社が誕生します。角川書店も国文学や日本史を専門にする小さな出版社の一つにすぎませんでしたが、“出版人”として源義は大胆な改革者でした。昭和24(1949)年には岩波書店や新潮社など、老舗が開拓した文庫本市場に参入します。周囲からは成功を危ぶまれましたが、結果、社屋を九段下に建てられるまでになり、現在のKADOKAWAグループの基礎を築きました。
文庫は、「角川が出せるならうちも」と、講談社をはじめ多くの出版社が参入しました。『昭和文学全集』も逆風の中での出版でした。全集は戦前、改造社の『現代日本文学全集』をきっかけに、各社が挙(こぞ)って1冊1円で販売。円本と呼ばれ、過当競争になります。戦後も各社が全集を出し、中小の出版社は「全集を出したら潰れる」とまで言われました。しかし、源義は昭和27年に全集刊行を断行。自ら帯を書き、ハードカバーの表紙をシルクで作るなどしながら、280円の廉価を実現しました。1巻あたり15万部を超える大ヒットを記録、当時「洛陽の紙価を高めた」とまで言われました。作品を収録した幾多の作家の中で、源義が特に敬愛した文学者は、小林秀雄さんと井伏鱒二さんでした。
この成功で、我が家の家計はだいぶ楽になったようです。ある時、夜中に父が興奮して帰ってきて「ビュイックを買ったぞ!」と言うのです。当時は日本に十数台しかなかった、高級なアメ車でした。
家での父は厳格な人でしたが、暴力は決して振るわなかった。ただ、火宅の人でもありました。幼い頃、会社は“火の車”で、父の実家の富山に真弓(辺見じゅん)、春樹、私の3人は一時期預けられていましたが、帰ってきたら母が入れ替わっていた。子どもにとってはショックでしたが、父は説明しない。非常に寡黙で不器用な人だったんですね。
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