出光佐三 メジャーに抗した出光佐三

夏樹 静子 作家
ビジネス 企業

百田尚樹『海賊とよばれた男』のモデルとして近年、再び脚光を浴びた出光興産創業者、出光佐三(いでみつさぞう)(1885―1981)。冒険に満ちたその95年の生涯は日本人のよさを体現したものだった。作家の夏樹静子(なつきしずこ)さんは、佐三の甥と結婚し、晩年の佐三と会っている。

 私の家の居間には、もう80歳を越えた出光佐三と、泰亮、弘、計助の兄弟がソファに寛(くつろ)いでいる写真が飾ってある。場所はみなの出生地の現・福岡県宗像(むなかた)市にある宗像大社。幼少時から心の拠り所とし、再建にも尽力した神社の中の陽光溢れる一室で、4人は和やかに談笑しているようだ。私には懐かしい義理の父(弘)とおじたちの姿である。

出光佐三 ©文藝春秋

 出光佐三は明治18年生れ、神戸高商卒業後、25歳で門司(もじ)に石油販売店〈出光商会〉を設立し、兄弟みなが協力した。それが〈出光興産〉の前身だったが、その創業当初から、佐三は「人間尊重」と「家族主義」の経営哲学を身につけていた。企業は金より人が資本、人材を大切にすることと、社員はみんな家族という気持である。出光興産は平成14年で創業91年になるが、現在でも出勤簿、労働組合、定年制がない。

 出光興産は満州、大陸方面に販路を拡げていったが、やがて敗戦を迎える。玉音放送の2日後、日本という国の存続自体も危ぶまれていた時、佐三は社員を集めて訓示した。

「今こそ3000年の日本の歴史を見直し、その国民性を信じ、誇りをもって国土再建にかかれ。日本人の真の姿を全世界に示す好機が訪れたのだ」

 当時佐三は還暦、海外の事業はすべて失い、国内には借金が残り、外地から1000人ほどの社員が帰ってくる。だが、「人材こそわが社の資本」という信念は揺るがず、一人の人員整理もせずに温く迎えた。

12対1の戦い

 佐三の日本人としての精神がいよいよ鮮やかに発揮されたのは、昭和28年の「日章丸事件」であろう。

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source : 文藝春秋 2002年2月号

genre : ビジネス 企業