土光敏夫 財産作りには全く関心がなかった幸福な一生

土光 陽一郎 石川島汎用機械株式会社相談役
ビジネス 企業

土光敏夫(どこうとしお)(1896―1988)は岡山県生まれ。石川島造船所に入りタービン設計にたずさわる。戦後、業績不振だった石川島重工社長となり、徹底的な合理化で再建、「ミスター合理化」の異名をとる。その後、石川島播磨重工社長、東芝社長を歴任、経団連第4代会長となる。晩年は臨時行政調査会会長として行政改革に情熱を傾ける。陽一郎(よういちろう)氏は長男。石川島汎用機械株式会社相談役。

 先月の24日、日本工業倶楽部主催による一周忌の法要を、盛大におこなうことができました。その前の15日、身内ばかり70人ほど集まりまして、内々の法要をしたのです。その時、私の女房の親戚である中尾幸雄さんに献杯の音頭をとっていただきました。三井物産からゼネラル石油にいかれた方で、今年94歳になられるというのに、とてもお元気なのです。今もゴルフをされている。

 すると、おふくろが「そういえばゴルフをしなかったね」と言いだしたのです。親父がゴルフをしていれば、足腰が鍛えられて血の循環も良くなり、もっと長生きできたのに、というわけです。ゴルフをしないのは財界人としては珍しいでしょう。スポーツは好きで、若い頃はテニスやスキーをしていたんですが。

 休みの日、家にいると本ばかり読んでいました。戦前はドイツ語の技術書をよく読んでいた姿を覚えています。こちらは子供でしたから、機関車の写真とかが載ったところだけ開いて喜んでいました。蔵書だけで一部屋分あります。ドイツ語の本も、本棚一つではきかないでしょう。整理しなくてはとは思っていますが、まだ手がつきません。

土光敏夫 ©文藝春秋

 親父の一生を振り返ってみますと、うまく時代の流れにそって生き、おそらく何の後悔もせずに終えることができただろうという気がします。好きな言葉が「日々新」で過去を振り返らない。その通りまっとうすることができました。

 戦前はエンジニアとして、たとえば国産初の陸上タービンの開発に成功している。戦後になると、経営者になっていく。最初石川島芝浦タービンの社長からスタートしていますが、昭和25(1950)年に石川島重工の社長になる。業績は良くなかった。親父が社長になったとたん、朝鮮戦争。景気が良くなった。運がいいという人もいる。今度は東芝の社長になる。これも再建を期待された。すると高度成長を迎える。オイルショックのあたりで身をひいて財界活動に専念する。最後は臨調で評価が高まった。そして昭和の終わりと共に、一生を終えることができた。

 けっして自分で切り開いてきた道ではないわけです。いつも請われてやってきた。東芝の社長はどうか、という話は石坂泰三さんに頼まれた。与えられた仕事は最大限の力を尽くしたでしょう。でも無理をせずにすんだ。権謀術数をめぐらさなかった。たいへん幸せであったろうと思います。

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source : 文藝春秋 1989年9月号

genre : ビジネス 企業