豪華客船「船内隔離」14日間の真実

広野 真嗣 ノンフィクション作家
ニュース 社会
3711人の乗員・乗客を擁する豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス号」で発生した新型コロナウイルスの集団感染は世界を震撼させた。横浜港に入港してからの数週間あまり、船内はどのような状況だったのだろうか。感染の恐怖に直面した3組の夫婦が過酷な現場の様子をすべて明かした!

”浮かぶ監獄”

 日本人乗客では、奇しくもこの人物だけが、2つの国の検疫体制を体験したことになる。

「あの船でやっていたのは『隔離』ではなく『待機』でした。それを隔離という言葉で表現したことが、いちばんの間違いやった。政府はウィルスに感染した可能性を残したまま、多くの乗客を放り出した。パンドラの箱を開けてしもうたんや」

 3711人の乗員・乗客の実に2割が新型コロナウィルスに集団感染した「ダイヤモンド・プリンセス号」。下船した平沢保人(64)がLINE通話での取材にこう述べたのは、下船から2日後の2月21日金曜日の昼のことだ。

 その直感を裏づけるように翌22日夜、「陰性」と判定され下船した計969人の中から、栃木県の60代の女性の感染が判明した。さらにチャーター機で帰国直後のオーストラリア人2人に感染が発覚したのを皮切りに、隔離の実効性に疑問符を突きつける検査結果が国内外で相次いだ。

 平沢自身は、船内隔離が終了する間際の18日の深夜24時に下船している。韓国籍の妻を含む6人の韓国人乗客とともに大統領専用機で羽田空港からソウルに飛び、仁川国際空港のターミナルの傍に建つ国立仁川空港検疫所に移された。50室ある陰圧隔離室の1室に妻と別々に入り、2度目となる14日間の隔離生活を送っていた。

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客室内の平沢氏

 下船の際、韓国政府の係官に促されて目を瞑(つむ)ると手荷物がぐっしょりと濡れるほど消毒薬を体中に噴霧され、コンテナ室の中で防護服を着た。難儀する着衣の手順も、事前に領事館関係者からLINEで送られた動画でその要領を知らされた。

 乗客も防護服なら案内する係官も防護服である。

 日本で受けた検体検査は喉を綿棒で1度拭っただけだが、韓国式は喉だけでなく鼻の奥の粘膜と痰も含め都合3つの検体を採る。しかも朝10時に採取して午後3時には陰性の結果が届いた。日本では、検査の結果が出るまで3日と説明されていた。

 30平方メートルほどの1人部屋と廊下との間は二重扉となっており、廊下側の扉は施錠され、食事時にだけ開く。直接の接触を避け、2枚の扉の間に設けられた1坪ほどの空間にある小机に、係官は使い捨て容器の食事を置いて去る。トイレやシャワーはあるが、クルーズ船の客室の快適さはない。

 隣国・北朝鮮が生物兵器を保有している可能性を排除できない韓国では、細菌戦を見据えた水際対策が整えられてきた、と平沢は聞いたことがある。その一端に触れると、クルーズ船で行われていた船内隔離の危うい曖昧さが実感できたという。

「韓国政府には感謝していますが、韓国へ出国することには正直、悩みました。韓国での検疫の14日間が済めば国際標準のやり方で〈感染がない〉というお墨付きを得られる。ただ、仲間意識も感じていた他の乗客やクルーの人たちのことを思うと、僕は彼らを放り出したような心情になってしもうて」

 政府の専門家会議は「隔離が有効に行われた」と評価したが、本当にそうなのだろうか。英国人乗客が「浮かぶ監獄」と嘆いた船内隔離の実態ははたしてどんなものだったのだろうか――。

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ダイヤモンド・プリンセス号

異変は那覇港で始まった

 不穏な兆しは船内隔離の開始4日前、2月1日に相次いで出現した。

 この日、クルーズ船は最後の寄港地、沖縄の那覇港に午後1時30分ごろに入港。乗客全員に対して入国に際した検疫手続きを踏んでいた。

「予定より早く終わることが多いのに、この時は3時間以上も待たされたんで、なんでだろうと。でも自分たちの番になって理由は判りました。乗客1人ひとりに『体調は悪くないですか』と聞いていたのです」

 埼玉県に住む60代の中野千賀子(仮名)は、ダイヤモンド・プリンセス乗船は5度目という常連で、この船以外を含めるともう10回以上のクルーズのリピーターだ。飛行機で飛んでマイアミ発のフライ&クルーズの経験もある。

 夫の武雄(仮名)が10年以上前に51歳で大手商社の早期退職制度に応じたのを機に、しばしば海外旅行に行くようになった。

 訪日外国人4000万人を掲げる政府は、クルーズ船が寄港できる港の整備を進めてきた。利便性は拡大し日本人クルーズ客も過去最高を更新中だ。18年は年32万1000人と3年前より5割近く増えた。

 クルーズに慣れた中野夫妻でも、那覇港の検疫の遅れには異常を感じた。だがそれも無理もないことだった。新型ウィルスを見逃すまいと片端から乗客に問いかけていくには、この船は桁違いに大きいのだ。

巨大な動くホテル

 全長290メートル、17階建て(最上は18階だが忌み数の13階がない)の船体は日本造船史上最大。総トン数は世界の豪華客船の代名詞クイーン・エリザベス号をも凌ぐ。横浜ランドマークタワーを横にしたような巨大な「動くホテル」には2666人の乗客、1045人の乗員が乗り込んでいた。客の5割は日本人だが、それ以外に55の国や地域の出身者がいる。これだけの規模と多様な乗客に1人ずつ「問診」すれば時間がかかるのは当然である。

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ダイヤモンド・プリンセス号の船内(2014年撮影)

 
 那覇検疫所から「中国(武漢)で新型コロナウィルス感染症が発生しています」と書かれた注意喚起の紙を手渡されていたはずだが、千賀子は「その時はピンと来てはいなかった」と振り返る。

 奇しくもダイヤモンド・プリンセス号の乗船者で最初に感染が見つかったのも、この2月1日の深夜だった。その80歳の香港人男性は出港日である1月20日に娘2人と横浜から乗船し、25日に日本領海を離れてから最初の寄港地である香港で降りた。

 乗船前から咳をしていたが、船内ではレストランやサウナを使い、鹿児島では一時下船して市内観光のバスツアーにも加わった。発熱した30日に地元香港の病院で検査を受け陽性と判明したのが1日の深夜、香港当局がその事実を発表した。

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ダイヤモンド・プリンセス号のレストラン(2014年撮影)

 船の乗客はこの日、午後5時ごろになってようやく那覇に上陸できたが、午後11時の出港時間は変更されなかった。香港政府から深夜の時点で情報が入っていた可能性は充分あるが、この時点で船内アナウンスはされていない。

 なにしろもう旅は最終盤だ。鹿児島港、香港、チャンメイ港(ベトナム)、カイラン港(同)、基隆港(台湾)と5つの寄港地を満喫してきた乗客はもう、旅の思い出を反芻している頃合いである。

 常連の中野夫妻にとっては渡航歴のある場所ばかり。それでもカイランをタクシーで観光して回り、客でごった返す大衆食堂でフォーを食べた。武雄は「ろくに後片付けもせずに1杯5万ドン(250円)はぼったくりだ」とぶつぶつ不平を言っていたが、そんな些細な“想定外”も千賀子には微笑ましい旅の思い出だった。夢にも思っていなかった2週間の“監禁生活”に比べれば、ご愛嬌程度のことだったのだ。

娘からLINEで情報が

 日本の国内では、前述の香港政府の発表が2月2日にかけて報じられた。3日夕方のニュースでは「検疫官が船内で約3000人全員の体温を測る検疫を実施する」という厚生労働省の方針が速報された。那覇検疫所の検疫を取り消し再検疫するという、極めて異例の措置だ。

 この緊急事態に呼応するように、ダイヤモンド・プリンセス号は速度を上げた。4日午前6時に横浜到着の予定を半日早め、3日の午後8時に到着する。

 パンフレットによれば4日の午後5時には次のクルーズの出発が予定されていた。再検疫だから那覇でのそれよりも時間がかかるかもしれない。入れ替えや清掃も考慮すれば、できるだけ早く到着しておきたいと考えたのだろうが、横浜港で待っていたのは思いもよらぬ事態だった。

 入港後に検疫官が乗り込んで乗客・乗員に面談し健康診断をすることが乗客に公式にアナウンスされたのは、横浜入港間近の3日の夜7時20分ごろ。船内にいてこうした放送の音声を逐一、スマホで録音しては「だぁ」というツイッターアカウントで発信し続けた30代の男性は、「船外と船内の温度差が凄いなと感じていた」と振り返る。

使用_EP3ZZX_VUAU13Id_だぁさんツイッターより
 
提供 Twitter @daxta_tw

「地上でニュースを見て心配した知人からは上空にヘリが飛び中継もしているよ、と連絡が来ましたが、船内は完全に普段と同じ日常で、乗客はイベントや食事を楽しんでいた」

 衛星アンテナを経由して届くNHK-BS1とBSプレミアムの日本語ニュースは短いものだ。その晩に、ある旅行代理店の添乗員から配られた案内には、「検疫官が乗船し各検査をしたのちの下船となる」とだけ記されており、多くの乗客は翌4日中の下船を疑っていなかった。

「だぁ」の男性が続ける。

「船側からの情報が少ないのはしかたないと理解していました。乗客を混乱させかねないし、イベントを中止しておいて感染者がいなかったら乗客もがっかりする。だから自分で調べるしかないなと思ったのです」

 3日の夜。14階デッキで麻雀やトランプをして過ごす人もいれば、フロントのある6階のレストランでは、オールブラックスの「ハカ」で盛り上がっている人たちもいた。同じ階のロビーではピンポン球をラケットに載せて運ぶゲームに歓声も上がっていた。

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賑やかだったロビー

 中野夫妻に最新の情報を伝えたのは、地上にいる家族である。

〈船内2、3人が体調不良って今、ニュースでやっていたよ〉

 千賀子のスマホに娘からLINEが入ったのは、検疫開始から2時間後の午後10時過ぎ。異変を感じた千賀子が〈新しい情報があったらLINEしてね〉と返すと、娘からさらに〈発熱した乗客がいると速報が出た〉と送ってきた。

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 2月4日、問診票を手にやってきた検疫官(写真左)。問診票の右上には「乗客・クルー(○つける)」と記されており(写真右)、ダイヤモンド・プリンセス向けに急造で作成された問診票であることが読み取れる。用紙の上下にコピーを重ねた痕跡があり、2月3日の横浜入港に際して作成したフォーマットをファックスやコピーを通じて増刷し、増援組の検疫官に配布したのであろうか(平沢氏提供)。

検疫担当者も緊張感なく

 体温計を手にした検疫官は客室最上の14階から降りてくると放送されていたが、すぐ下の12階なのに翌4日の朝になってもノックがなかった。スルーされたと知って11階の客室に設けられた臨時の医務室に2人で足を運んだ。

「そこには20人ほどが廊下に列をなしていました。最後尾につくと、前に並んでいた人から『ここに並んでいるのはみんな体調が悪い人。ここにいたら具合が悪くなるよ』と言われ慌てて部屋に戻ったんです」

 武雄によれば、行列の人は誰もマスクをしていなかった。もう感染は拡がり始めていた。だが、乗客たちのその時点での懸案は、ウィルスなどではなく、家路への航空券や新幹線の予約をどうしたらよいのか、であった。6階のフロントでは、北海道から来たという乗客が「ハッキリした情報をよこせ」と乗員に食ってかかっている姿も目撃した。

 緊張感のレベルは検疫当局もさほど変わらなかった。

 4日の夜7時頃、6階のシアターで英語の歌謡ショーを見終えた際、千賀子を待たせ小用を足しにトイレに入った武雄は、胸に「Quarantine(検疫)」と書かれた濃紺の作業着の男性と隣り合わせた。

「連れ小便の気安さで、『いつ降りられるんですか』と依ねたら、『症状がなければすぐに降りられると思いますよ』と。防護服どころか、帽子もマスクもしていませんでした」

 その晩の10時半、情報源の娘から千賀子へのLINEが届いた。

〈ネット界隈で2週間下船させるなって言ってるけれど、どうなるんだろう〉

 信じられなかったが、翌5日水曜日の朝6時32分に突然始まった船内放送でこれが現実のものとなる。いつものよく通る声の男性でなく、低音の女性の声だった。

〈日本検疫よりすべてのお客さまには客室内で待機していただくよう指示がありました。ただいまの時間、すでに船内公共エリアでお過ごしのお客様には、客室にお戻りいただきますよう、お願い申し上げます〉

 放送は「理由」には触れなかった。ちょうど朝食の時間帯で、14階デッキいっぱいに広がるブッフェスペースで多くの乗客が朝食をとっていたが、放送に従ってぞろぞろ自室に向かう。中野夫妻も自室で落ち着いていた2時間後の8時20分に再び船内放送があった。

 その中では自室待機を求めた理由――乗客10人から新型コロナウィルスの陽性反応が出ていること、海上保安庁の船で搬送された後であること、そして検疫が14日間続く見通しになったことも告げられた。のちに酷評されることになるこの船内隔離を厚労省が開始したのは、その1時間前の午前7時のことだった。

 

カジノ通いを妻に責められ

「とんでもないプレゼントというか、一生忘れられない経験になりました」

 島根県の団体職員、門脇誠也は1年前にこの船旅を予約した。65歳の誕生日と、1つ年下の妻との36回目の結婚記念日を2月下旬に迎えるお祝いを兼ねていた。

 専門サイトを見ると、クルーズ料金の多くは1泊1万円前後。寄港地でのオプションツアーやバーの利用などを除けばコース料理やプール利用も含まれている。波の影響を受けやすい前方や後方の部屋、あるいは窓のない内室はさらに割安。予約時期によってはキャンペーン割引もある。「豪華客船」の印象と裏腹に、まとまった休暇が取れる熟年層にとってはリーズナブルな選択肢だ。

 早々に予約した門脇は、11階の右舷のちょうど真ん中あたりのバルコニー付き、という好条件の部屋が取れた。奇しくもその好位置が、隔離生活中の心理に微妙な影響をおよぼしたようだ。

 港に接岸したまま行われた検疫第2日目(2月6日)、乗降口近くに集まる車両や人の姿が眼下に見えた。

「最初は、ブルーの使い捨てガウンにマスクの消防隊員、その中に何人か白い防護服の自衛隊員が混じっている程度でした。ところが次の日から様子がみるみる変わっていく。検疫や自衛隊の人たちの数が増えて、どんどん重装備になっていった」

平沢氏提供③自衛隊や医療スタッフの出入り
 
平沢氏提供④
 
自衛隊や医療スタッフの出入り(平沢氏提供 2枚とも)
 

 救急車は増え続けた。5日目(9日)には約20台になり、消防車4台、自衛隊車両5台。6日目(10日)には「救急車の展覧会のようだ」と思うほど車列が並んだ。しかも人が運び込まれてもなかなか発車せず、船内で何か不穏なことが起きているように思えて心がざわついた。

 配られた体温計で37.5度を超えた乗客には検査が行われ、感染が判れば医療機関に運ばれ、隔離されることになっていた。

 感染者の数は20人(1日目)、41人(3日目)、3人(4日目)、6人(5日目)、65人(6日目)と日を追うごとに増え方も急になり、折り返した8日目(12日)に新たに39人の感染が判明したあたりで計173人。割合でいえばまだ乗員乗客全体の5パーセントに満たなかったが、数字より大きく感じ、「自分もまさか……」と考えたりした。

「クルーズ旅行の間、6階のカジノにしょっちゅう1人で出入りしてたんです。日本の領海を離れるとできる珍しさがあったし、隣り合わせた博打好きの中国人は私らとは桁の違うコインで賭けるから、へぇと思う。でもこうなってみると、もしかして自分もそこで……なんて余計なことを考えてしまい、女房からは『要らんところ行くけん、心配しなきゃいけんことになるがね!』と。だから早く検査してくれんかなと思っていました」

使用_EP2r6LaVAAEatBB_だぁさんツイッターより
 
提供 Twitter @daxta_tw

 最初にウィルス検査の対象になったのは、症状が出ている乗客乗員とその濃厚接触者だ。7日目(11日)には80歳以上の高齢者と基礎疾患がある年齢の高い者から順次検体を採取されるようになる。

 後に加藤勝信厚労相が全乗客のウィルス検査を決めるが、それは11日目(15日)という検疫期間が終盤に差し掛かってからのことだ。

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source : 文藝春秋 2020年4月号

genre : ニュース 社会