なぜイランはアメリカに事実上の勝利を収めたのか
〈今回の戦争で軍事的に最も重要だったのは、実はイランの「核開発」ではなく、「弾道ミサイルとドローンの製造」です。イランは、高価な航空戦力は敢えて放棄し、安価な弾道ミサイルとドローンの開発に賭けるという「非対称な防衛政策」を選択し、この知的で断固たる政策が見事に機能したのです〉(『西洋の敗北と日本の選択』文春新書、2025年9月刊)――米国とイスラエルがイランの核施設を空爆した昨年6月の「12日間戦争」について、イランの「非対称戦略」の巧みさを指摘していたフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏。
今年2月28日の米国とイスラエルによる大規模奇襲攻撃で始まったイラン戦争も、緒戦こそ、強大な軍事力を誇る米国とイスラエルが圧倒したが、その後はイランが、「ドローンなどの安価で大量の兵器」と「ホルムズ海峡封鎖」という「非対称戦略」でトランプ大統領を追い詰めて徐々に形勢を逆転させ、ついにはイランに圧倒的に有利な「14項目の覚書」の締結に至った。トッド氏はこの戦争をどう見ているのか。
現在、起きているのは、「第三次世界大戦」の本格的な拡大です。今回のイラン戦争は、2022年2月24日に始まったウクライナ戦争と一体のものなのです。
第三次世界大戦の二つの「戦線」
この二つの戦争は別個の戦争ではなく、「第三次世界大戦」の「南部戦線(イラン戦争)」と「北部戦線(ウクライナ戦争)」という、同じ戦争の二つの「戦線」と捉えるべきだと私は考えます。2022年6月に『第三次世界大戦はもう始まっている』という本を上梓しましたが、今から4年前に概念として用いた「第三次世界大戦」が、より具体的な姿を現わしてきたということです。
「北部戦線」では、米国がウクライナ人とヨーロッパ人を使って、ロシアと間接的に対峙しています。「南部戦線」では、米国が同盟国であるイスラエルの助けを得て、イランと直接的に対峙しています。
「米国はイスラエル・ロビーに操られてイラン戦争を始めた」としばしば言われますが、こうしたナラティブに騙されてはいけません。すべてを決めているのは米国なのです。米国は、必要とあれば、イスラエルの意向を無視してイランとの交渉を進めています。
トランプ大統領やヴァンス副大統領がイスラエルのネタニヤフ首相やその他の閣僚を激しく批判していますが、これは、「この敗北は、我々をこの戦争に巻き込んだイスラエルのせいだ」という責任転嫁です。
ニヒリズムに陥り、国家として方向喪失状態にあるイスラエルは、暴力の衝動に突き動かされ、戦争が自己目的化し、常に戦争の準備ができているのは確かですが、そうしたイスラエルを米国はいつでも敵に放つことができる“猛犬”のように利用してきました。つまり、最終的な決断はワシントンが下してきたのです。

そもそも、前線は膠着しつつも、互いの攻撃がエスカレート――ウクライナはロシア領内の石油施設などを攻撃し、ロシア側もキーウなどドンバス地方以外の都市部を攻撃――しているウクライナ戦争の現状を理解しようとしたことが、この二つの戦争を「第三次世界大戦」の二つの「戦線」として捉えるきっかけとなりました。今回の世界大戦は、過去の世界大戦と比較して、死者数は圧倒的に少ないながらも、複数の地域で起きている戦争が、互いに影響し合いながら同時進行しています。
第二次世界大戦で、米国は、「欧州戦線」でドイツと、「太平洋戦線」で日本と同時に戦いましたが、この二つの「戦線」はそれほど深く結びついていませんでした。
形式上、日本とドイツは当時、同盟関係にあり、たとえば、仏ブルターニュ地方の私の別荘近くにあるロリアン港(ナチス・ドイツが巨大な潜水艦基地を建設)には、戦時中に日本の潜水艦が運んだ魚雷が今も保存されていますが、これは“文化交流”の類で、日本とドイツの相互協力はそれほど強いものではなかったのです。
今回の戦争の二つの「戦線」は、これよりはるかに密接に結びついていて、さらに東アジア(ホルムズ海峡封鎖を考慮すれば全世界)にまで影響が及んでいます。
現在、「北部戦線(ウクライナ戦争)」で、ウクライナが、軍事施設や石油関連施設など、ロシア領内のかなり奥にまで攻撃対象を拡大できているのは、米国が提供する軍事情報のおかげです。「南部戦線(イラン戦争)」で、米軍とイスラエルに対するイランのドローンやミサイルによる攻撃が効果的だったのは、ロシアが提供する軍事情報のおかげです。これは、ウクライナ戦争の初期段階で、ロシアが、イランから提供されたドローン(「シャヘド」)に大いに助けられたこととも関係しています。米国のミサイル備蓄を消耗させるという点で、イランとロシアは「共同戦線」を張っているのです。
さらにそこに中国も関与しています。というのも、「北部戦線」で米国と戦うロシアを経済面で支えているのは中国で、「南部戦線」で米国と戦うイランを経済面で支えているのも中国だからです。
中国は、ロシアにとって最大の貿易相手国で、欧米の制裁で国際決済システムからロシアが排除された後は、両国間の貿易は、米ドルから人民元とルーブルでの取引に移行し、中国の銀行がロシアの国際決済を支えています。中国は、イランにとっても、輸出・輸入の両面で最大の貿易相手国で、とくにイランの原油輸出の90%を中国が輸入しています。5月中旬の米中首脳会談の直前に、中国の招きでイランのアラグチ外相が訪中したのも、この戦争への中国の関与を示唆しています。
このように、過去の二つの世界大戦と比較して、「経済戦争」の側面が強いこの戦争の二つの「戦線」は緊密に連動しているのです。ですから、この状況全体を視野に収める必要があります。
今回のイラン戦争は、核問題を協議していた2月28日に、米国とイスラエルがイランに大規模奇襲攻撃を仕掛けることで始まりました。
緒戦は、最新鋭の高価な兵器で米国とイスラエルが圧倒しましたが、イランは簡単には屈しないと私は確信していました。安価で大量の兵器を駆使するイランの「非対称戦略」の有効性は、昨年の「12日間戦争」ですでに証明済みでしたし、さらに歴史家として、多くの識者が見逃してきた「イランの近代化」を20年以上前から指摘してきたからです。しかし、これほど見事な抵抗と反撃は予想以上のものでした。
「非対称戦略」で見事に逆襲したイラン
イランは、世界最強国の理不尽な攻撃に耐えただけでなく、ホルムズ海峡の封鎖で世界経済を混乱に陥れ、とりわけ米国のガソリン価格を高騰させて形勢を逆転させ、むしろ米国を追い詰めていきました。しかも、6月17日に署名された「覚書」のように、結果的に戦争前よりもイランに有利な状況をつくり出しつつあります。
かつてのイランは、米国とイスラエルの先制攻撃に対する反撃に終始していましたが、最近は、ヒズボラ支援のため、イスラエルに先制攻撃を仕掛けるまでに至っています。この変化は、イランが戦略的優位を確立したことの証しです。米国とイスラエルの高価なミサイルがすぐに枯渇したのに対し、安価な弾道ミサイルとドローンを大量に温存し、持久戦を辞さないイランの構えが、和平交渉での強気な姿勢につながっています。
イランは、国家体制としても強靭性と柔軟性を兼ね備えています。開戦当初、「斬首作戦」で最高指導者のアリー・ハメネイ師を始め、多数の要人を殺害されたことにより、イランの指揮系統は一瞬で寸断されました。イスラエル軍の発表によると、最初の攻撃からわずか40秒間に、「イランの最も重要な要人・軍高官の40人以上」が殺害され、その後の攻撃も含めると、少なくとも計50人以上の政権幹部や司令官が殺害されています。ところが、イランの体制は崩壊しませんでした。属人的ではない近代的組織が機能したからです。
昨年の「12日間戦争」について、私は本誌2025年9月号でこう指摘していました。
〈トランプとネタニヤフは、「イラン攻撃は体制転換も目的だった」として、最高指導者ハメネイ師の暗殺までほのめかしましたが、この発言から、イランの現実がまったく見えていないことが分かります。
リビアの政権はカダフィの死によって崩壊し、イラクの政権もサダム・フセインの軍事的敗北によって崩壊しました。しかし、いずれもアラブ諸国の特徴として、「脆弱な政治システム」しか有していなかったのです。ペルシア系でシーア派のイランは、これとは根本的に異なる社会です。仮にハメネイ師が暗殺されても、イランの国家体制が崩壊することなどあり得ないのです〉

分厚いエリート層と彼らが共有する「愛国心」が国家としてのイランを支えています。西側諸国の高学歴エリートが「個人を超えた価値観」を見失い、ナルシシズムとニヒリズムに陥っているのとは対照的に、イランやロシアのエリートは「集団への帰属意識および責任感」と「強固な愛国心」を保持しているのです。今日において、このような健全な「愛国心」は、単なる精神論にとどまらず、国家の重要な“資源”として機能しています。
スンニ派アラブとシーア派イランの大きな違い
米国は、こうしたイランの権力構造を見誤っています。同じ「イスラム」だということで、「アラブ」と「ペルシア(イラン)」、「スンニ派」と「シーア派」の違いも見えていないからです。
スンニ派のアラブ諸国の特徴は、男系の親族ネットワークの強さにあります。「男系の一族(クラン)」が「国家」よりも強力であるために、「国家」の建設が困難なのです。「国家」が存続する場合も、「サウード家の国」を意味するサウジアラビアのように、ある一族がその国家を支配します。それに対してイランは、あの偉大なペルシア帝国の末裔で、2500年にわたる「国家建設」の伝統と歴史を引き継いでいるのです。
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