最前線の医師が見た 「失敗の本質」

麻生 幾 作家
ニュース 社会
新型コロナウイルスの感染者が続出した豪華クルーズ船。対応にあたった医療チームの対応は、はたして適切だったのだろうか。防護服不備で投入されたDMAT(災害派遣医療チーム)、患者ばらまきの受け入れ態勢……最前線で活動した医師はいくつもの教訓があると語った。今後、それをいかに生かすべきか。

最悪の事態の瀬戸際

「批判するという時はもう終わった。多くの反省や失敗を教訓とすべきだ。そうでないと途轍もない悪夢が日本を襲う」

 20年近く、医学についてご教示を頂いている、救命救急医療の専門家が私にそう告げた。

 2月下旬のことである。

 私が本稿を書き上げたのはその3日後だ。国の専門家会議が「新型コロナウイルス(以下、新型ウイルス)の大規模な感染拡大は、ここ1〜2週間が瀬戸際」と見解を示した2月24日の4日後のことである。日本全国での新しい感染者の発生に関する公式発表は、日々、10人前後の推移を示し、パンデミック(感染爆発)は起きていない。

 しかし本誌が店頭に並ぶ、3月10日は、ちょうどその“ここ1〜2週間が瀬戸際”のタイミングにあたり、状況がどのように変わっているか予断を許さない。

 最初に断っておくが、冒頭の言葉は恐怖を煽るのが目的ではない。新型ウイルス対応の最前線に立ち続けた同医師が、いつも冷静な発言しかしないにもかかわらず、そんな言葉を発したことに私は重要な意味を感じ取ったからだ。

 その救命救急医療の専門家とは、2月初旬、横浜に寄港した、イギリス船籍のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」(以下、クルーズ船)の乗客の医療にあたった、地方の病院に勤務する医師の1人である。

カンバン_KMY6351_広野真嗣フォルダより
 
ダイヤモンド・プリンセス号(2014年撮影)

 実は、その言葉は、クルーズ船感染者の対応にあたった別の複数の医師たちも同じように口にしている。

 2月初旬、クルーズ船の多くの感染者が病院に搬送される中で、乗客乗員に長期間の客室待機を求めた日本政府が内外のメディアなどから批判を浴びたことは記憶に新しい。

 “大勢の乗客、乗員を船内に閉じ込め、感染者を増加させていることは人道上、問題だ”

 という論調がメディアに溢れた。

 しかし、クルーズ船感染者に対応した医師たちの多くは、これから日本がしなければならないのは、過去の批判ではない、と強調する。

「発信される情報に完全な信頼をおけない中国や、分析の余裕もなく対応だけに追われる韓国を除き、クルーズ船の数百名にも及ぶ多くの感染者に対応した日本だからこそ、政府の対応への反省を教訓とし、今後、重症患者の拡大対策に生かすべきです」(同医師たちの一人)

 同医師は、冒頭の言葉を発した根拠として、クルーズ船への政府の対応の中から、いくつかの「教訓」を私に示した。それは、今後、日本が最悪の事態を迎えるかどうかの瀬戸際で、クルーズ船への対応を教訓としなければならないポイントだと強調した。

防護服不備で投入されたDMAT

 多くの医療関係者が真っ先に挙げたのは、クルーズ船内での医療に投入された、ある医療チームについての問題だ。

 その医療チームとは、東日本大震災や熊本地震で活躍した、DMAT(デイーマツト)(災害派遣医療チーム)である。

 DMATは、大災害が発生した時、全国の病院に勤める医師たちが自ら名乗り出て登録し、災害現場へ向かう組織である。東日本大震災の時は、九州の空港から東北へと、自衛隊機で急送されたこともあった。

 その災害医療の専門家たちが、感染症医療の最前線に投入されたこと自体、医療関係者の中で驚きが走った。

 クルーズ船から病院へ搬送された先で治療にあたる臨床医の一人はその理由をこう語る。

「結論から言えば、厚生労働省に、感染症対策で大きな権限がないからです」

 同臨床医はさらに続けた。

「2003年、中国で感染拡大が起こったSARS(サーズ)(重症急性呼吸器症候群)の時は、日本の全国に国立病院があり、厚生労働省はそれらを一括運用することが可能で、医師や病床の直轄運用ができた。しかし、その後、国立病院が独立行政法人となったためにそれができなくなった。厚労省が持つ“唯一の手足”は、感染症の専門家ではないDMATしかなかったのです」

 そしてその現実を知っていた安倍首相の命令でDMATの投入となった。

 しかしそこからが問題だった、と語るのは厚労省の検疫官関係者だ。

「DMATの医師と看護師、また厚労省の検疫官に与えられた感染防護装備は、マスクとガウンだけでした。新型コロナウイルスについてはまだ何も分かっていない状態にもかかわらず、厚労省本省の方針で、タイベック防護服などの十分な装備を提供しなかったのです。その理由について、『乗客に動揺を与えたくなかった』と、本省の担当幹部は語っていました」

 同検疫官関係者によれば、そのために、ウイルスの飛沫が付着する可能性がある額や首を露出させたまま、ハイリスキーな環境で任務を続けることとなった。クルーズ船で感染者に対応した医師たちの1人は、その問題を強く指摘する。

「DMATの医療従事者たちは、自ら、何度も、手指の消毒だけでなく、顔を洗うことに専念していた」

 結果的には、活動が終了した2月下旬まで、DMAT内で1人の看護師が感染するという残念なこともあったが、感染拡大は起こらなかった。医療関係者の多くは、もし、DMATの医療従事者に感染が拡大すれば、クルーズ船に対応できる者がいなくなり、国家的な問題に発展しただろうと指摘する。

「しかし、注文をつけたり文句を言ったりするDMATの医療従事者はいませんでした。関係者たちを支えたのは、DMATとしてのプライドでした」(地方からDMATに参加した医師)

生かされなかった海保のノウハウ

 さらに、厚労省の対応に問題があった、とするのは、別の検疫官関係者だ。

「2月10日に感染が確認された検疫官について、省内では『マスクを使い廻したことで感染した』と、まるで個人責任であるような雰囲気が広がりました。クルーズ船に対応した検疫官は、国家の命令で危険な任務に従事したんです。にもかかわらず、その雰囲気では、感染した検疫官が余りにもかわいそうでなりませんでした」

 同検疫官関係者は、さらに、強い危機感を持っていた、としてこう説明する。

「心配したのは、そういった雰囲気のせいで、検疫官の士気が下がることでした。そうなれば、対応システムそのものが崩壊していた。しかし、担当した全員が勇気を持って任務を遂行しました。検疫官たちを支えたのは専門家としてのプライドだけです」

 前出の同医師たちは、今後、クルーズ船のような大規模なクラスター(一定の範囲内での感染拡大)が発生した場合、再びDMATの出動がなされる可能性に言及し、その時のために、これらのことを教訓としなければならないと強調した。

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source : 文藝春秋 2020年4月号

genre : ニュース 社会