なぜ日本では「荒唐無稽な噓」が通ってしまうのか。小池都知事が、これだけの疑惑をもたれながら非難をかわしてしまえる理由はどこにあるのか? ベストセラー『女帝・小池百合子』の著者が指摘する、大手メディアの罪。
真実を知りすぎた同居女性
「小池百合子さんはカイロ大学を卒業していません」――。
その衝撃的な手紙を私が受け取ったのは2018年2月のことだった(1月末に「文藝春秋」編集部に届いた)。
送り主は私の知らない名前。だが、私もこの女性のことを長く探し続けていた。早川玲子さん(仮名)。小池百合子都知事と約2年間、カイロで同居していた女性である。
小池はこの同居女性の存在を自著で一貫して伏せている。なぜか。それは早川さんが若き日の小池の真実を知り過ぎているからである。
2016年7月31日に行われた都知事選で小池は自民党を敵として戦い、自民党推薦の増田寛也に大差をつけて圧勝した。
選挙後も人気は高く、ワイドショーは連日、彼女を取り上げていた。こうした追い風を受けて、小池は地域政党「都民ファーストの会」を結党。翌2017年には都議選に同党から候補者を大量に立てて大勝する。さらに勢いを得た彼女は国政進出を狙い、国政政党「希望の党」を立ち上げると自ら代表になり、衆議院選に挑んだ。
自民党はモリカケ問題で窮地にあり、新党代表として一時は総理の座も目前かと思われたが、選挙直前の記者会見で口にした「排除します」のひと言で失墜。大敗後は都知事の座に留まったものの、その後はオリンピックの準備が滞るなど失点が続いていた。ところがコロナ問題が起こると、一転。自己アピール力に長けた彼女は突然、派手な記者会見を連日行い、「ロックダウン」「東京アラート」とキャッチフレーズを披露し、さらにはCMにまで出演。「都知事選を意識した広報活動」との批判もあったが、大手メディアの好意的な報道を追い風に、再び時の人となる。2020年7月5日の都知事選で、彼女は再選されるだろうと誰もが予想している(この原稿は6月30日に脱稿。その後、彼女は366万票を獲得し、再選を果たした)。
「自分語り」という武器
私が「小池百合子」というテーマに初めて取り組んだのは、今から約4年前。「新潮45」編集部からの依頼だった。男性の編集者に、「女性初の都知事であり、女性から圧倒的に支持されている小池百合子という人間を、女性の執筆者に書いてもらいたい」
と言われたことを憶えている。つまり都知事が男性であったなら、私に執筆依頼が来ることはなかった、ということだ。私は政治を専門とするわけではなく、女性評伝を手がけてきた物書きである。
「あまり知られていない幼少期に限り、父親との関係を中心に書いて欲しい」というのが編集部からの注文で、私はそれに応える形で「小池百合子研究 父の業を背負いて」という記事を書き、それは「新潮45」2017年1月号(発売日は2016年12月17日)に掲載された。
その執筆時、私はいつもと同じように、まず最初に資料を集め、読み込んでいった。
小池自身による自著も多く、インタビューや対談まで含めると、相当な嵩であった。総理経験者でも、ここまでの量にはならない。女性ということで、ものめずらしく興味本位に取り上げられた面もあるのだろうが、何よりも彼女自身がマスコミに出ることを好んできたことの証左であろう。別の言い方をするならば、彼女は常にメディアに露出し、メディアを利用し、メディアを通じて自己宣伝をすることを政治的な強みとしてきた人なのである。
そして、それらの資料の中で彼女はいつも「自分」を語っている。政策の話も、常に自分の体験と結びつけられているのだ。生い立ち、父や母のこと、留学経験。こんなにも私生活や経歴を自ら語り、それを前面に押し出す人はめずらしいと感じた。
地盤、看板、カバンの代わりに、2世、3世議員ではない彼女が政界を生き抜くために、武器としたもの、それがこうした彼女自身による「自分語り」なのである。だが、この「自分語り」は果たして一度でも検証されたことがあるのだろうか。メディアは彼女の言うがままを報じてきただけなのではないか、と思った。
例えば彼女は繰り返し、自分が政治家になろうと思った原点はエジプトのカイロ大学に留学した経験に根ざすと語っている。
エジプトに日本から政治家がやってくると通訳に駆り出された。そこで日本人の“油乞い外交”を目の当たりにし、こんなことではいけないと思い政治家を志した――。
日本の商社がリビアの大臣と交渉をする際、通訳として同行。交渉が長引いたため、予定していた飛行機をキャンセルしたところ、その飛行機が領空侵犯で、イスラエル軍に撃墜されて九死に一生を得た。その時、国家にとって領土とは何かを肌身で知り、政治家として国防を第一に考えるようになった――。
どれも極めて劇的な話である。しかし、20歳を過ぎたばかりの留学生に、こんな重大な仕事を外務省や商社が任すものだろうか。私は資料を読んでいて腑に落ちなかった。
自著から見えてきた「綻び」
彼女の「自分語り」の白眉と言えるのは、「カイロ大学を首席卒業した」という学歴である。しかし、カイロ大学はエジプトの国立名門大学で、授業はアラビア語の古語にあたる文語(フスハー)で行われる。文語の習得はアラビア語を母語とするエジプト人でも容易ではなく、4人に1人は留年すると彼女自身が自著に書いている。ゆえにカイロ大学を卒業できた日本人はまずいない、と。しかし、彼女は「4年間でカイロ大学を首席卒業した」と語っているのだ。学生数は10万人である。ずば抜けた天才であったのか。ところが、彼女の自著、『振り袖、ピラミッドを登る』の中には、以下のような記述が見受けられる。
〈(進級試験で)次に問題用紙が配られた。教授直筆のガリ版刷りときているから、まず、字がろくに読めない。字が読めても、質問の意味がわからない。どうにも答えようがないのだ。隣のエジプト人学生は、白地に青の横線の入った解答用ノートを小さなアラビア文字でどんどん埋めていく。カンニングをしようにも、その字さえも読めない私なのだから、まったくのお手上げの状態だった〉
〈私は質問にはあまり眼を通さずに、前日丸暗記した文章を書いていった。採点者が眼を丸くするような解答だったに違いない。設問と答えがまったく噛み合わないのだから〉
首席という以前に、これで卒業できるのだろうか。また、彼女は進級試験に受かるたびに高いところに登って「やったぞ!」と叫んで喜びを表す私的行事を行ってきたとも同著で語り、こう記述している。
〈1年目は落第して、この行事をとり行なう資格を自ら失い、見送りとなった。しかし、奇跡的に合格し進級できた2年目にはロータスをかたどった高さ187メートルのカイロ・タワーに、翌年にはカイロ一高いノッポビル、その翌年には小高い丘に立ったムハンマド・アリーモスクの庭、と場所を替え、きわめて個人的なこの行事を行なった。4回目、すなわち卒業の年の最後に選んだのは、この日のためにとっておいたピラミッド〉
最後の進級試験に受かって卒業できることになり、ピラミッドの頂上に登ってキモノ姿で写真を撮ったと話は続き、その記念すべき1枚も自著には載せられている。この写真は彼女がこれまで好んで雑誌やテレビで公開してきたので、目にした人も多いはずだ。だが、私の目は魅力的な「ピラミッド写真」よりも、最初の一文に惹きつけられた。
「1年目は落第して」
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source : 文藝春秋 2020年8月号