歴史を振り返ると、天皇が国民に直接語りかけたことは何度かある。こうした前例に照らせば、コロナ禍でメッセージを発信することは十分あり得た。だが、結果としてメッセージは発信されなかった。そこから見えてきたのは、「平成流」と「令和流」の“違い”だ。
原氏
ビデオメッセージの「政治性」
「自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います」
2011年3月16日、東日本大震災の発生からわずか5日後に天皇(現・上皇)は約6分間に及ぶ異例のビデオメッセージを出しました。未曽有の大災害に動揺する国民に直接語りかけたのです。あの時の天皇の「おことば」に励まされた人も多かったのではないでしょうか。
一方、このコロナ禍において、昨年5月に即位した今上天皇は、今のところ、国民に広く語りかけるメッセージを出しておらず「沈黙」を保っています(6月27日現在)。
東日本大震災時のビデオメッセージ(宮内庁提供)
世界を見渡すと、各国の王室はヨーロッパを中心として、東日本大震災の時の天皇のようなメッセージを出しています。
イギリスのエリザベス女王は、4月5日に国民向けのテレビ演説を行いました。女王は、
「全ての人がこの困難にどのように立ち向かったかを、誇れる日が来ると信じている。後世の人は、この世代の英国人が一番強かったと言うだろう」
と呼びかけました。女王がテレビ演説をするのは極めて異例で、即位から70年近い歴史の中で、故ダイアナ妃の死後や湾岸戦争時など、これまで4回だけだそうです。
また、日本の皇室とも関係が深いオランダのウィレム・アレクサンダー国王も3月20日にテレビやインターネットを通じて国民へのメッセージを伝えるなど、感染拡大の猛威にさらされた国々の「王室の言葉」が、自国民への励ましになったのは間違いないでしょう。
私自身は、ビデオメッセージが持つ「政治性」に関して、批判的に検証している立場です。ですから、日本の皇室もまたヨーロッパの王室と同じように国民へのメッセージを出さなければならない、などと言うつもりはありません。
しかし、天皇がひとたびそうしたメッセージを出せば、イギリスやオランダと同じように、国民は励まされ、歓迎する空気が生まれるのも間違いありません。その意味で、天皇の「おことば」を求める声が高まれば、例えば即位から1年になる5月1日にメッセージを出す可能性があるのではないか。4月下旬の雑誌の取材で、私はそう答えました。
この予測は外れましたが、「沈黙」が続く現状に対して、前の天皇の退位を巡る政府の有識者会議で座長代理を務めた政治学者の御厨貴氏は5月1日の毎日新聞の取材で、次のように述べています。
「陛下は誕生日を前にした記者会見などを通じて事態を深く憂慮し、国民生活を案じていることを表明した。しかし、国難とも言える状況だ。ビデオメッセージのような、より強い方法で発信してもよかったのではないか」
天皇の誕生日は2月23日。その後、3月、4月、5月、6月と「沈黙」が続きました。いまなお平成の天皇・皇后の記憶が脳裏に色濃く残る人たちにとって、御厨氏の言葉は本音を代弁したものに映ったに違いありません。
HPの「ご発言」
ただし宮内庁のホームページを見ると、天皇や皇后の「新型コロナウイルスに関するご発言」を見ることはできます。「ご発言」は、4月10日に行われた尾身茂新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長の「ご進講」と、5月20日に行われた大塚義治日本赤十字社社長らによる「ご進講」の際に、この2人に対する「挨拶」をHP上にアップしたものです。
〈この度の感染症の拡大は、人類にとって大きな試練であり、我が国でも数多くの命が危険にさらされたり、多くの人々が様々な困難に直面したりしていることを深く案じています。今後、私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています〉(4月10日の発言)
宮内庁によれば、こうした挨拶を掲載することは異例のことだといいます。とはいえ、あくまで定型的なものですし、冒頭に引用した東日本大震災直後の上皇の言葉に比べてツルっとしています。上皇は、あの震災の時のメッセージで、災害の救援活動に従事し「労う」対象の筆頭に自衛隊を挙げました。これは先の戦争の記憶が生々しく、自衛隊が違憲かどうか議論のあった昭和の時代にはあり得ないことでした。上皇の強い意思を感じさせる言葉です。
ご進講を受ける天皇・皇后(宮内庁提供)
今回の天皇の「ご発言」には、そうした天皇自身の意思が感じられません。言い回しが抽象的で、あえて言えば官僚の作文のようでもあります。これに比べれば、同じく宮内庁のHPからリンクが張られている、済生会病院にあてた秋篠宮のメッセージの方が具体的で文量も多く、自らの言葉で「医療従事者を励まそう」とする意思が感じられます。秋篠宮の方が「平成流」を意識しているように思われるのです。
そもそも多くの国民は、わざわざアクセスしないとみられない「ご発言」を知らないでしょう。少なくとも、この発言をもって、御厨氏が言う「強い方法」での発信を天皇が行ったとはいえません。
国民に直接語りかけた過去
歴史的に見れば、天皇が「強い方法」で、国民に直接語りかけたことは過去に何度かあります。まず、1945年8月15日正午からラジオ放送された「終戦の詔書」、つまり、昭和天皇の玉音放送が最も有名です。更に翌年の5月24日に「食糧問題の重要性に関する御言葉」が再びラジオ放送されました。
「主として都市における食糧事情は、いまだ例を見ないほど窮迫し、その状況はふかく心をいたましめるものがある」として、
「同胞たがひに助け合つて、この窮況をきりぬけなければならない」
と国民に対して訴えたのです。
平成になると、東日本大震災の直後と2016年8月8日の退位を巡るメッセージと、2度にわたって、天皇はテレビを通して直接国民に語りかけました。
こうした前例に照らせば、今回のコロナ禍に、ビデオメッセージで天皇が発信することは十分にあり得ました。しかし、結果としてメッセージは発信されませんでした。
内閣と宮内庁の軋轢
その理由については、推測の域を出ませんが、2つ考えられます。
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source : 文藝春秋 2020年8月号