7月以降、相次ぐ失策で下降した支持率を回復させるため、経済再生に傾倒していった官邸。「感染拡大防止」か「経済再生」か——「現場」で奮闘し、難しい判断を迫られた知事たちに本音を聞いた。
「感染拡大防止」と「経済再開」
「我々、現場からすると全然収まっとらんなと思っているわけです」
ソファで数えて3つ分、距離を取った位置でマスクを外すと、鳥取県知事の平井伸治は語り始めた。
「現場」とは、厚生労働省や内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室――国より、住民や医療機関に近い都道府県のことを指している。
平井は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会に地方代表として出席するため、地元と東京を頻繁に往復する。その予定の合間を縫って取材の機会を得られたのは、8月24日の昼のことだ。
実は、この取材の数時間後、分科会では全国の新規感染者について「7月27〜29日以降、緩やかな下降が見られる」という専門家の見解が明らかにされ、翌日の新聞はこれを大きく報じる。そんな流れに、平井は苦言を述べた。
「1人が平均で何人にうつしたかを表す実効再生産数が1を切ったと言っても、まだ0.8とか0.9で1に近い。1人が1人にうつすなら、医療機関には患者が積み上がっていくということ。後で急に重症化の数値が上がってくることもある」
まさに前週、大阪で重症者が増えただけに弁舌は熱を帯び早口だ。
「医療現場や保健所の負担や、重症化の危険がピークアウトしたかといえばそれは別問題で、気を抜くことはできないんですよ」
平井鳥取県知事
第2波が全国を覆う中、「感染拡大防止」と「経済再開」の両立という難しい仕事の実務を「現場」で迫られたのが、知事たちだ。
1兆円以上もの“貯金(基金)”を元手に休業要請を打ち出せる東京都は例外として、無い袖は振れない46の道府県知事にとって“一強”の官邸は頼りになる存在だ。
ところが、その官邸が失策続きで支持率回復に奔(はし)る。5月に入ると緊急事態宣言の解除を急ぎ、7月に入ると、「Go Toトラベル」キャンペーンを前倒しし、明らかに経済再開に傾いた。同時に東京から全国へ、感染が拡大していった。
政府による緊急事態の再宣言もなければ手立ても少ない地方は追い詰められ、沖縄、岐阜、三重、愛知ではこの夏、次々と法に基づかない独自の“緊急事態宣言”を掲げて、危機を凌がざるをえなかった。
知事たちには不評だった新型インフルエンザ特措法について、再改正の必要性を菅義偉官房長官も否定しないが、批判を恐れてか与党は、首相退陣まで国会召集を避け続けた。政府の対応を、知事たちはどう見ているのか。
菅官房長官
今回、本誌では全国で累積の感染者数が1000人を超えたり、対応が注目されたりした都道府県の知事たち16人に、次の4つの質問項目を通じて見解を問うた。
①Go Toトラベルは前倒しで開始すべきだったか。
②全戸配布した布製マスクは感染拡大防止に役立ったか。
③国の対策に欠けているものは?
④臨時国会を早急に開くべきか。
このうち7人の知事から回答が寄せられ、とりわけ神奈川、愛知、岐阜、鳥取の各県知事にはインタビュー取材を行うことができた(大阪府、埼玉県、兵庫県は書面回答)。現場指揮官たちは、何を語ったか――。
Go To前倒しは上策か愚策か
質問① Go Toトラベルの前倒し実施という政府の判断は、正しかったのか。
当初8月から実施予定だったGo Toトラベルについて、政府は7月22日から前倒しして実施した。
感染が全国に広がる中、「アクセルとブレーキを同時に踏むようなこと」(都知事・小池百合子)、「全国的なキャンペーンは今やるべきじゃない」(大阪府知事・吉村洋文)といった批判が続出したのを受け軌道を修正した政府は、突出して感染者の多かった東京への旅行や都民の旅行を除外して事業を始めた。
導入から1か月余り、政府の判断は適切だったのか。足下の感染状況と経済失速のあり様を毎日観察し続けた知事たちにずばり「○」か「×」か、その理由も依ねた。
第2波を通じて東京、大阪と並んで感染が広がった愛知県の知事、大村秀章は意外にも「○」をつけた。
「必要な事業です。東京を外したこともよかった」と大村は評価する。
「コロナで最もダメージを受けているのは観光、レジャー産業、ホテル・旅館、飲食で、これらの業種では売り上げが9割以上減少した。いわば、“瀕死の重傷”なんです」
ただ、愛知県は8月6日、独自の緊急事態宣言を出した。感染拡大の懸念はなかったのだろうか。
「県をまたぐ遠方への移動は控えるようお願いをしていますが、逆に、近場の旅行は県で代金の半額について1万円を上限に補助しています。実施の前倒しにはいろいろ意見はあると思いますが、息長く腰を落ち着けて続けていかないかんのです」
大村愛知県知事
前倒しの悪影響は「ない」
実際に悪影響が出なかったのか依くと、大村は「ない」と言う。第2波の線形を追いつつ、語る。
「新規感染者のグラフが急に立ち上がったのは7月15日の16人。Go Toが始まる22日よりも1週間ほど前のことです」
7月15日といえば、東京都の新規感染者数が165人。直近1週間の感染者数が、4月の緊急事態宣言下での最大値を上回った日だ。
大村が続ける。
「愛知県では14日まではゼロの日が9日間もあった。東京の1日に100人、200人はよその世界のようでした。それが……急拡大でしたから」
1週間後の21日には53人、その1週間後の28日には110人、さらに3日後の31日は193人。100人台が実に14日間も続き、大村は頻繁に「警戒領域」「厳重警戒」と記したボードを掲げた。
陽性者の内訳を見ると40代以下の若い人が大半で、軽症で活動的なため伝播を促進する。7月下旬の急激な伸びにGo Toが影響しているのではと考えたくなるが、興味深いのは、その初期の感染経路だ。
「判ってきたのは、7月前半までの7、8割が“東京由来”だったこと。東京から来た人が夜に名古屋の歓楽街、錦三丁目(通称「錦三」)や栄地区に足を運んだりして、ここが“震源地”になった。大きなクラスターになった東京・新宿の劇場で感染した人も10人もいました」
つまり、Go To以前、地理的につながりの深い東京からの伝播がその後、錦三・栄地区の歓楽街などを通じて広がったという。その東京は、Go Toから除外された。
大村は、第1波の緊急事態宣言が解除されて間もない6月初頭、厚労省幹部が電話で「歌舞伎町、六本木は収まっていない、要警戒です」と告げたのを記憶しているという。
貴重な情報だが、無症状者が運ぶと伝播の経路は見えなくなる。SARSなどと違う新型コロナの厄介さだ。実際、愛知県で急拡大したのは、警告から1か月余り後のことだ。
愛知の「トヨタ・カレンダー」
政府が法的な緊急事態宣言を出さない以上、知事は、特措法に基づいて休業の「指示」を出すことはできない。法に基づかない県の宣言を出すにあたり大村は、製造業中心という地域柄を効果につなげたと話す。
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