「見えない不安」に「心の抗体」を

コロナ時代の生と死

五木 寛之 作家
ニュース 社会 オピニオン
人は「感染防止」と「経済」だけに生きるにあらず――。1年2年で収束するものでもないコロナの流行を前にして、いかに「孤独」と向き合うべきか。著書に『孤独のすすめ』がある、五木寛之さんは「究極のマイナス思考」を提唱する。

肺と心の病

 生きている間に、まさか自分が、こんな事態に遭遇するとは思いもしませんでした。

 緊急事態宣言のもと、映画館が閉鎖されたのは空前のことです。太平洋戦争の真っ只中であっても、映画館が閉まったことなどありません。

 東京が「憧れの対象」ではなく、感染が拡大している地域として「避けられる対象」になったのも、おそらく初めてのことでしょう。東京のナンバーの車だというだけで、地方では石を投げられたり、蹴られたりすることがあるとも聞きます。

 戦後民主主義の中で、ヒステリックなまでに「自由」を求めていたはずの人々が、「緊急事態宣言」、つまり「国家に管理されること」をみずから望むようになるとは思いもしませんでした。左翼ゴリゴリの雑誌でさえコロナ特集を組み、国家のコントロールを論じている。コロナにはイデオロギーさえ飛び越えてしまう何かがあるのです。

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五木氏

 しかし、新型コロナウイルスによる国内の死亡者数は、現時点では1000人強。年間約3000人の死者を出す交通事故や年間約2万人に上る自殺と比べても、ごくわずかにすぎません。よく比較されるスペイン風邪は日本人だけで40万人前後の死者を出していますから、致死率は雲泥の差です。

 要するに、新型コロナそれ自体は、それほど凶暴なウイルスではありません。健康被害で見れば、過去にはもっと恐ろしいウイルスや感染症がいくらでもありました。

 しかし、そんな「弱小ウイルス」が、私たちの思想やカルチャー、社会の在り方に大きな影響を及ぼしている。しかも、感染しても軽症者や無症状者が大部分を占め、「目に見えない」。そうであるだけに、その影響の規模や範囲にも際限がないという厄介な事態を引き起こしています。

 感染症の記憶として思い出すのは、私が中学1年生のときに平壌(ピヨンヤン)で終戦を迎え、引き揚げてきたリバティ船で流行した発疹チフスです。私たち家族は徒歩で38度線を越え、船で命からがら、やっとの思いで博多港の対岸にたどり着きましたが、船内でチフスが流行っていたため、母国を目前にして港外に停船させられたのです。

 チフスは虱(しらみ)が媒介します。身体には発疹が出て、なけなしの血を吸ってプクプクふくらんだ虱を爪で潰すと、爪が血で赤く染まる。その意味で、発疹チフスは「目に見える敵」でした。

 そんなチフスと違って「目に見えない」コロナは、私たちの心を徐々にむしばむ、何か得体のしれない病です。「肺の病」だけでなく、社会において非常に深刻な「心の病」をもたらす。しかも、「コロナ」という音の響きは、微塵も凶暴さを感じさせません。なんとなく可愛い感じさえします。そんなコロナが、いま世界中を不気味な不安に陥れているのです。

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3密は人間の条件

「ソーシャルディスタンスを取れ」「3密を避けろ」と言われています。東日本大震災のあと、さかんに「絆(きずな)が大事だ」「絆を取り戻そう」と言われていたのが嘘のようです。

 もともと、「3密」とは、仏教の言葉です。身口意(しんくい)と言って、「身密(身体)・口密(言葉)・意密(心)」の3つの密を追求するために修行することが、弘法大師が説いた真言密教の教義です。この言葉がすぐに定着したのも、そうした背景があったからでしょう。しかし、まさかこんな意味で流行するようになるとは思いもしませんでした。

「密閉・密接・密集」の「3密」は、言わば「人間の条件」、「我々が生きていくための生活の条件」です。

「家で過ごせ」「人に近づくな」「仲間に会うな」と制限され、長期にわたる緊張を強いられれば、私たちの生活や人間関係の在り方そのものが大きく変わってしまいます。「3密を避けろ」とは、結局のところ「孤立せよ。他人に近づくな」という「人間疎外のすすめ」に他なりません。

「心の抗体」が必要だ

 戦前に、「暗い日曜日」という歌が流行りました。そのレコードをかけながら自殺する人が多かったので、「自殺を誘う歌」などと言われました。最近も俳優の三浦春馬さんの自殺に多くの人が衝撃を受けましたが、時代を象徴するような自殺者が一人出てくると、それに誘われるように同調する空気が社会の中に蔓延してしまうことがあります。コロナがそういう気分を助長することが気になります。いまは目の前のコロナと闘うので必死であっても、この状況が1年、2年と続けば、自ら死を選ぶような人が増えてくるかもしれません。

 ところが今回のコロナに関して、医学的、疫学的な議論のほかは、「働き方はこうなる」「命と経済のバランスをどう取るべきか」など、実利的なアドバイスしかなされていません。我々の心に直接語りかける言葉がほとんどないのです。

 感染症の予防にワクチンが必要なように、私たちの精神にもウイルスから身を守る「心の抗体」のようなものが必要ではないでしょうか。

 本来であれば、古来、社会でその役割を担っていたのが宗教でした。

 歴史を見れば、「日本で有史以来の10人の宗教家」と言われるうちの5人の宗教家が相次いで世に出たのは、13世紀のことでした。法然、親鸞、日蓮、道元、そして栄西です。

 当時の日本では、干ばつによる大飢饉、津波や地震、台風などの災害に加えて大火や疫病が流行し、内乱も後を絶たなかった。鴨長明の『方丈記』の時代です。民衆が「生きて地獄、死んで地獄」と嘆く中、多くの宗教家が、既成宗教の牙城である山を下り、市井に身を投じて、飢餓線上の人々に生きる道を説いたのでした。

 もし、現代に彼らのような人がいれば、科学者がコロナを分析するように、仏教におけるコロナへの対し方を言葉をつくして人びとに語りかけたことでしょう。しかし、今回、そういう宗教家の声はきこえてきません。

 仏教だけでなく、イスラム教も、今年は聖地メッカへの大巡礼を、サウジアラビア国内の1000人に限定するなど、異例の形で行っています。人々の心に寄り添い、熱烈な支持を集めるような新興宗教が生まれてくる気配もありません。危機の時代にこそ、救世主や英雄が出現するはずなのに、精神の水先案内人(チチエローネ)のような人物が現れない。もっとも、現代はジャンヌ・ダルクのような人が一人出てきて、世の中を救うという時代ではないのかもしれませんが。

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寄る辺なき時代に

 コロナと向き合う上で頼りにできる人物や言葉もないなかで、さらに追い打ちをかけるように、私たちがこれまで帰属し、心の拠り所としてきたものが大きく揺らいでいる。

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source : 文藝春秋 2020年10月号

genre : ニュース 社会 オピニオン