Xデーは北京冬季五輪から数カ月後。日本が人民解放軍の標的となる――
「10年以内には台湾有事が発生する」
長さ約25メートル、幅が10メートルを超える広大な床に広げられた巨大な地図。描かれているのは、沖縄県の宮古島(みやこじま)、伊良部島(いらぶじま)と下地島(しもじしま)を拡大したものだ。
そのうち宮古島の北側に位置し、オーシャンブルーの海を一望できる西平安名崎(にしへんなざき)の、ちょうどその上に、ⅢMEF(スリーメフ)(アメリカ海兵隊第3海兵遠征軍)の将校が立ち、その手に握られた指示棒(しじぼう)は、伊良部島にある「渡口(とぐち)の浜」のビーチに押し当てられている。
きめ細やかな天然の砂浜とコーラルブルーの海に抱かれた「渡口の浜」は、南西諸島の数多くのビーチの中でも常に人気上位にランクされている美しさだ。
しかし、戦闘服姿の海兵隊将校の口から放たれたのはリゾートムードとはかけ離れた言葉だった。
「水陸両用戦闘車(ACV)の着上陸地点(LZ)はここ、トグチノビーチだ。海岸より2キロ沖からのアプローチ海底地形は水深3メートルとほぼ一定。小さな岩と砂が点在するだけで、礁嶺(しょうれい)(サンゴ礁が海底で隆起した場所)は存在しない。またこのビーチの東西の端には、県道へのコネクティングロード(連接路)がある」
自衛隊では「砂盤(さばん)」と呼ぶ作戦図から顔を上げた将校は、数十名のアメリカ海兵隊(海兵隊)と陸上自衛隊(陸自)の部隊指揮官や幕僚たちを見渡した上で、伊良部島と陸路で繋(つな)がっている下地島の名前を口にし、そこにある3000メートル級の滑走路を持つ「下地島空港」を占領する敵から奪還することの戦略的重要性を強調した。
このシーンは「戦闘予行(せんとうよこう)」と呼ばれるもので、戦争時、出撃を目前にした部隊で必ず行われる。それが日米の共同演習の場で行われたのだ。
しかし、これは3年前のシーンである。場所はⅢMEF司令部がある沖縄県うるま市のキャンプ・コートニーだ。
「その時は今ほど台湾有事(ゆうじ)の切羽詰(せっぱつ)まった危機は叫ばれていなかった」
と語るアメリカの太平洋海兵隊関係者は続ける。
「しかし、当時から中国共産党指導部は、台湾を『核心的利益』と強調すると同時に、台湾に肩入れするアメリカとの対立を鮮明化させていた。その状況を敏感に捉えた我々は、少なくとも10年以内には台湾有事が発生するとみて、日本の自衛隊と緊密なるジョイント・エクササイズ(合同演習)を本格的に開始した」
そのエクササイズが紹介したシーンである。
米海兵隊と島嶼奪還訓練を行う自衛隊水陸機動団
「台湾危機で日本有事」の深層
注目すべきは、すでに3年前より、海兵隊と陸自が極めてリアルな共同演習を行っていたことである。しかも、演習の土台となるシナリオには、台湾に近い日本の先島(さきしま)諸島(宮古島、石垣島(いしがきじま)や与那国島(よなぐにじま)など)が組み入れられていたのだ。
「台湾有事が勃発(ぼっぱつ)すれば、地政学的に台湾に近い日本の先島諸島へも中国の攻撃があると考えたのは純軍事的な発想であり、陸自とも共有した。特に、先島諸島にある幾つかの空港は台湾侵攻作戦を行う中国にとって、そこに日米部隊が集結すれば、戦略的な判断で事前に制圧する可能性があり、それを奪還する作戦の『エクササイズ』は極めて重要だと認識していた」(同関係者)
そして今、海兵隊と陸自の「エクササイズ」は遥(はる)かにグレードアップすることとなった。そこには重大な理由があった。
*
台湾を巡り、米中の緊張度が高まっている、と内外の多くのメディアが発信している。その中で特に注目されたのが、今年3月下旬、新しくインド太平洋軍司令官に指名されたアメリカ海軍のジョン・アキリーノ海軍大将の記者会見での言葉だ。
「中国は台湾に対する支配権を取り戻すことを『最優先課題』と位置付けており、この問題は大半の人が考えているよりもはるかに切迫しているというのが私の意見だ。われわれは受けて立たなければならない」
その後、国内のメディアで、台湾有事が起これば“日本もタダでは済まない”“日本有事となる”――との論調や解説を多く目にするようになった。
しかし、“日本もタダでは済まない”“日本有事となる”とは、いったい何が起きるというのか。
台湾侵攻を狙う中国の人民解放軍とアメリカ軍との間でもし戦争が起こるとすれば日本はどう関わるのか、いかなる被害が出るのか――その実際の様相がなかなかイメージできない。
それを探るべく、今回、日米の関係者への取材で明らかになったことは、想像を遥かに超えた「現実」であった。
中国の習近平総書記(左)と台湾の蔡英文総統
キーン・エッジで台湾侵攻を想定
前述した、海兵隊と陸自の「エクササイズ」がグレードアップしたこととは、半年後に開催が予定されている、ある日米合同演習のことだ。
5月下旬、神奈川県座間市にある、陸自の作戦を統括する組織「陸上総隊(そうたい)」の一(いち)組織「日米共同部」が詰める施設に、海兵隊の幹部たちが参集した。「日米共同部」とは、陸自がアメリカ軍と共同して戦闘を行うための“調整所”だ。
彼等が集まった目的は、来年の1月から2月にかけて2週間にわたって行われる「日米共同統合演習」の準備のための協議だった。
この演習は、実際の部隊は使わない「指揮所演習」と呼ばれるもので、自衛隊の広報文によれば、訓練の概要は「我が国防衛のための米軍との共同対処要領に係る訓練」とあり、重視事項として「日米共同対処能力の向上」とだけあっさり書かれている。
しかし、この演習は、日米部隊の間では「キーン・エッジ」という名称で呼ばれている。よく耳にする「YS」とも「ヤマサクラ」とも呼ばれる日米合同演習は、そのシナリオが非現実的なものも一部含まれる一方、「キーン・エッジ」は、「まさしく“今、そこにある危機”をテーマとする極めてリアルな演習」(海兵隊関係者)である。
前出のアメリカ太平洋海兵隊関係者によれば、今回のシナリオは、ズバリ、中国・人民解放軍による台湾侵攻対処作戦のうち、先島諸島での陸自との共同作戦をテーマにしているという。
「キーン・エッジで、“台湾侵攻対処作戦における先島諸島での陸自との共同作戦”がメニューとなる意味は重大だ」(同関係者)
では、この「キーン・エッジ」でいかなる内容の演習が行われようとしているのか、それについて海兵隊関係者の取材を進めてゆくうちに、“日本もタダでは済まない”“日本有事となる”――その答えの一つが見えてきたのである。
第1列島線に海兵隊を展開
「キーン・エッジ」を巡る「日米共同部」での海兵隊と陸自の協議の冒頭、海兵隊側から、「最優先テーマとしたい」とするメニューを陸自側に提案したという。
「我々(海兵隊)が『EABO』(遠征前進基地作戦)を行うために『MLR』(海兵沿岸連隊)を先島諸島へ初期配置(最初の配置)する時、日本の『法的縛(しば)り』について検証し、問題点を洗い出したい、そう陸自側に要請した」
聞き慣れない名称が連続するが、これには説明が必要だ。
前出の太平洋海兵隊関係者が解説する。
「中国による台湾侵攻の危険度アップや南シナ海における覇権拡大を受け、我々(アメリカ軍)は、2年前『MPS』(海洋圧迫戦略)を作成した。狙いはズバリ、“西太平洋における中国の軍事侵攻は失敗する”ことを、中国の指導者に知らしめて軍事的行動を抑止することにある」
それに基づいて、中国と正面で対峙するⅢMEFは大きな戦略転換を行ったという。
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source : 文藝春秋 2021年8月号