デジタル独裁国家の思わぬ弱点を衝いたアナーキーすぎる若きハッカー集団
安田氏
最大規模の監視社会
今年7月1日に建党100年を迎えた中国共産党が近年ひときわ腐心しているのが、イノベイティブなIT技術の積極的導入による社会のスマート化と、その技術を国内治安の維持に応用することだ。今年、中国の治安維持予算は1850億元(約3兆900億円)規模に達した。膨大な費用を投じることで構築されたのが、人類史上でも最大規模の巨大な監視社会である。
中国では全国民に、ICチップでデータ管理された顔写真入りの身分証が発行され、その常時携帯と、長距離移動やホテル宿泊の際の提示が義務付けられている。旅先で提示された身分証はカードリーダーで読み込まれて公安部のデータベースに送られるため、旅行や外泊の履歴、海外や香港・マカオへの渡航歴や搭乗便名はすべて個人情報と紐付けされた形で当局に記録される(正確には出入境記録としてまとめて保管される)。
加えて中国では、民間企業が保管する個人情報すら当局が自由に使用できる。たとえば、個人の銀行の口座残高、携帯電話の番号やGPS(位置情報)、WeChatというLINEに似たメッセンジャーアプリのアカウントと会話・通信履歴、QRコードを用いたキャッシュレス決済の利用情報、フードデリバリーや配車アプリの使用履歴……といった現代の便利な都市生活を支える情報の一切は、すべて個人と紐付けされた形で公安部に把握されている。
さらに中国全土には約2億台の監視カメラが存在し、都市部では顔認証機能によってまたたく間に個人の特定が可能である。加えて中国の警官たちには、派出所の巡査や交通警官など最末端の人材にいたるまで「警務通(ジンウートン)」と呼ばれるスマホ状の移動端末が配備されている。たとえ屋外にいても、端末に身分証番号を打ち込めば、クラウド上にある全国民のデータベースから当該人物の戸籍情報や顔写真が表示される。瞬時に相手の身元を調べられる仕組みだ。
いまや中国においては、監視カメラのAIと警官が持つ「警務通」の双方によって、戸籍を持つあらゆる国民の身元の洗い出しが一瞬でおこなえるうえ、個人の移動・消費・他者とのコミュニケーション内容といったあらゆる情報も、すべて当局が把握することが可能となっている。――もっとも、ほぼ全国民の情報がデータ化されたことで、意外な問題も生まれた。
すなわち、本来ならば最高レベルの国家機密に属するはずの、習近平をはじめとした党高官やその家族の個人情報ですらも、データベースのなかに含まれていたことだ。彼らとて現代中国の社会で生きる民である以上、デジタルな情報管理の網からは逃れられない。
結果、これが体制の意外な泣きどころとなる。2018年ごろから、各種の手段で入手した中国共産党の高官やそのファミリーの機密情報をインターネット上に公開する行為(ドキシング)を通じて、党体制に反抗する若いネットユーザーのグループが現れるようになったのだ。
彼らは通称「悪俗圏(アースージユエン)」と総称される。一昔前に話題になった国際ハッカー集団のアノニマスや機密公開サイト『ウィキリークス』の中国版、と説明すれば多少はイメージが湧きやすいかもしれない。
しかも悪俗圏の最高レベルのリーダーの一人は、なんと日本国内で暮らしている。本記事では彼の告白を軸に、近年の中国共産党を揺るがせている前代未聞の事態の全貌を描き出していくこととする――。
習近平の個人情報を暴く方法
「中国人民はみんな、18桁の身分証番号を割り当てられている。すなわち、最初の6桁が戸籍登録地の地域番号、次の8桁が生年月日、残る4桁のうち1桁は性別だ。これは習近平だって例外じゃない」
地方都市のファミリーレストランで、目の前の若者が喋り続けていた。彼は広東省深圳市生まれの肖彦鋭(シャオイエンルイ)(26)。いまや中国国内では大量逮捕によってほぼ壊滅した、悪俗圏の最高幹部の数少ない生き残りである。2018年以降、日本で事実上の亡命生活を送り、関西地方のある小都市で暮らしている。
「まず、習近平の身分証番号が特定されたのは2018年9月なのだが、これをやったのは僕らの仲間じゃなかった。なぜなら技術的には非常に簡単で、誰でもできることだったからだ。習近平の戸籍登録地や性別、誕生日は公開情報だから、実は18桁の番号のうち15桁までは予測できる。不明なのはたった3桁だけだ。総当り式で試せば番号を特定できてしまう。解析のためのプログラムを組むまでもなく、その気になれば手動でも可能な作業だよ」
身分証番号が本物かどうかを確かめる最も簡単な方法は、その番号を使って中国IT最大手のテンセント社のウェブサービスに新規ユーザー登録をおこなうことである。
なぜならテンセント社は民間企業とはいえ、中国人の大部分が使用しているメッセンジャーアプリ「WeChat」や「QQ」の提供元だ。これらは事実上の国民的通信インフラなので、提供元であるテンセント社の利用者情報の登録システムは、中国公安部のデータと直結している。日本では考えられないこの仕組みを、あべこべに利用するのだ。
「たとえばゲームサービスの『テンセント・ゲームス』に新規登録して、習近平の身分証番号を入力すると、自動的に公安部のデータを参照してくれるから『**平』と名前の一部が表示される(笑)。これで番号が正しいかの見当がつくわけだ。いまは、みんなが習近平の身分証番号で新規ユーザー登録をやったせいで、使えなくなったらしいけれどね」
習近平の身分証
晒された習近平の娘の携帯番号
まだまだ序の口だ。悪俗圏のネットユーザーたちはやがて、習近平の身分証番号に紐付けられた他の情報まで、芋づる的に調べ上げていったのである。
「2018年末、身分証番号を手がかりにして習近平の詳細な戸籍情報が明らかになった。僕たちの仲間のアメリカにいるグループが、内輪で6000元(約10万円)を集め、何人かの仲介者を挟む形で、一般の警官の『警務通』端末で検索して表示された個人情報を買い取ったんだ」
安月給にあえぐ最末端の警官にまで、全国民の個人情報が検索可能な移動端末が行き渡ったことで、逆にカネで転んで「警務通」から最高指導者の個人情報を売り飛ばす不良警官が生まれてしまったのだ。
警官との仲介者は、ミャンマーやカンボジアに拠点を置く中国人の情報屋たちだ。彼らは中国国内の不良警官とコネがあり、ワイロの見返りに検索させた個人情報を他者に転売している。政治的な動機はなく、商業的な利益が目的の行動だ。
「やがて習近平の個人情報をもとに、内部リークされた人口普査(レンコウプウチャア)(中国の国勢調査)のデータから、習の娘の習明澤(シイミンゼエ)の身分証番号や携帯電話番号を入手した仲間がいた。さらに出入国管理システムのデータからは、習明澤の顔写真と、パスポートや香港マカオ通行証の番号が判明した。まもなく習明澤の携帯電話番号がウェブに晒された結果、彼女の携帯にはネットユーザーからのイタズラ電話が殺到して……」
こうして明らかになったところでは、習明澤は1992年6月25日生まれ。現在は楚晨(チュウチェン)という偽名を名乗り、情報の暴露時点での住所は浙江省杭州市だったという。
習近平の娘「楚晨」
中国の「Z世代」オタクの反乱
悪俗圏はもともと『百度貼吧(バイドゥテイエバ)』というネット掲示板のコミュニティが発祥だ。日本の『2ちゃんねる』(現5ちゃんねる)系のネットカルチャーや日本アニメを好むオタクが中心のサブカルチャー的な集まりである。
「習近平政権下の2015年ごろから掲示板での言論が不自由になったので『悪俗ウィキ』(悪俗維基(アースーウエイジー))や『シナウィキ』(支納維基(ヂーナーウエイジー))というサイトを作った。特に2018年末に始めた『シナウィキ』は、中国共産党との敵対姿勢を前面に出した」
すなわち肖彦鋭は、悪俗圏の中心である2つのサイトを立ち上げて運営していた人物なのだ。
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source : 文藝春秋 2021年8月号