ポピュリストは暴君を超えるか
池上氏(左)と石川氏(右)
「党主席」ポストの復活
池上 昨年、中国共産党は結党100周年を迎え、現在は9200万人もの党員を擁する超巨大政権党にまで発展しました。さらに今年の秋に開かれる5年に1度の党大会では、習近平総書記の3期目続投が確実視されています。かつて毛沢東が務めた「党主席」ポストを復活させるとの見方もあり、習近平がその座に就任すれば、まさに建国の父毛沢東と並ぶほどの地位と権力を手中に収めることになるかもしれません。
そんな中、昨年刊行された石川先生のご著書『中国共産党、その100年』(筑摩書房)はタイムリーで面白く読ませていただきました。
石川 ありがとうございます。
池上 共産党の歴史をきちんとした学問的な裏付けのもとに紹介しているだけでなく、合間にコラムを挟んで中国の流行歌を紹介するなど、一般の人が面白く読める工夫があちこちに散りばめられていますね。
中でも私が印象的だったのが、毛沢東についての記述です。石川先生は「こんな悪い奴だ」と一刀両断せずに、100年の歴史の中に適切に位置づけて客観的に評価されていると思いました。
石川 表紙は毛沢東と習近平のイラストですが、中国では指導者の肖像を勝手に使ってはいけないとの規制があるため、中国の書評サイトではイラストを削除した書影で紹介されました。ところが、すぐに本そのものが、サイトから消えてしまったんです。
池上 現代版「焚書」ですね。
石川 この本の中国語訳の話も、早々と立ち消えになりました。実は中国の研究者の執筆による100年史すらも規制のためか、出版されませんでした。共産党の支配する国で、100周年の節目にまともな100年史が出ないというのは、異常な状態だと思います。
党主席と総書記
池上 習近平による統制強化の一端を物語っていますね。ジャーナリズムの観点からすれば、「習近平と毛沢東を比較した場合、どのようなことが言えるのか」、さらに「習近平は本当に第2の毛沢東になろうとしているのか」といった点に興味があるのですが、石川先生の評価をお伺いしたいです。
石川 確かに、一連の言動を見ていると、第2の毛沢東になりたがっているようですね。例えば次期党大会で1982年以降、廃止されていた党主席のポストを復活させて、その座に就こうとしていると言われています。共産党の歴史において、党主席とはすなわち毛沢東を意味し、党の中でも別格の存在だった。「毛主席」と呼ばれるほどに彼の代名詞そのものでした。
今の党総書記という肩書でも、制度上、運用上、十分に権力は振るえるのに、彼がわざわざ党主席の座を求めるのは、一種の「金バッジ」を欲しがっているようなもので、皮相な欲望に駆られていると見えてしまいます。私も少し前までは、習近平は“毛沢東ごっこ”をやるような人物ではないと思っていたのですが、見込み違いだったようです。
池上 ちなみに、総書記と党主席とでは具体的にどのような違いがあるのでしょうか。
石川 党主席は党大会で選出される約200名の中央委員を代表する存在です。一方の総書記は、中央委員から選ばれた二十数名の政治局員、さらにその中の常務委員という党の中枢に選ばれた7人の取りまとめ役というイメージです。
つまり、総書記が7名の集団指導体制のリーダーであるのに対して、党主席は200人規模の中央委員全員のトップを1人で務めるわけです。微妙な違いではありますが、その違いの中に、威厳や威信の歴然たる差が出てくるのです。
池上 なるほど。集団指導体制という言葉が出てきましたが、何か重要なことを決めるときに、常務委員7名の多数決で決めますよね。だから委員の数が奇数で、昔は9名だった。建前としては、総書記は多数決で決めたことを代表して執行すると。一方で党主席は「この人が何か言ったら党全員がそれに従わないといけない」という極めて独裁的な力を持つ、ということでしょうか。
石川 そのように言い換えても差し支えないと思います。
池上 そうなると、習近平が総書記の立場では飽き足らず、党主席にこだわるのも何となく理解できる気がします。ただ、歴史を振り返ると、華国鋒と胡耀邦が短い期間務めたあと廃止されました。以来、例えば江沢民も胡錦濤も総書記でした。
石川 そう、党主席ポストの廃止は過去の反省に基づいてのことでした。毛沢東の死後、共産党は彼が文化大革命など晩年に重大な誤りを犯したとして、過剰な個人崇拝がそれを引き起こしたと結論づけました。これは1981年に採択された、党の歴史を総括する「歴史決議」にも書かれています。その反省により個人に権力を集中する党主席制をやめて、総書記に変更する制度改正を行ったのに、それを元に戻そうというのですから、過去の苦い経験をどのように考えているのか、誰もが彼の考えをいぶかるわけです。
建国の父・毛沢東
習近平思想とは
池上 江沢民ら党の昔の長老たちが、権力を欲する習近平を見かねて「ちょっと待て」とストップをかけないのでしょうか。
石川 どうでしょう。一部のチャイナ・ウォッチャーによれば、江沢民の流れを汲む上海閥の連中が陰に陽に、習近平側に圧力をかけているとの話も聞きます。ただ、こうした中南海の内情は分かりませんし、少なくとも我々の目に見える形にはなっていないですね。
池上 最近になって、中国の小学校から大学院まで、「習近平思想」を学ぶことが必修科目になりました。例えば、小学生向けの教科書は「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想学生読本」というタイトルが付いています。ページをめくると「習おじいさん」なる人物が出てきて「習おじいさんは忙しいのに、いつも国民のことを気にかけています」などと書かれている。
石川 日本でも話題になりました。
池上 そうやって自身の権威を高めるために「習近平思想」を定着させようとしている。ただ、「毛沢東思想」や「鄧小平理論」と聞けば、すぐさま具体的なイメージが湧いてくるのですが、「習近平思想」については、どんな中身なのか、私には一向によく分からないんです。
石川 おっしゃる通りです。2014年から習近平の著作集が出ていますが、それを読んでも、共産党のある種の決まりきったフレーズや、ありきたりのお題目を集めただけで、実際どこまでが習近平本人の考えなのか、見えて来ません。彼の秘書というか、ブレーンがいて、習の意向にそって文章をまとめているのか、それにしても思想らしい思想の中身がない。昨年7月の100周年のときの演説も、習近平自身の内から出る肉声という感じはしませんでした。
池上 そうなんですね。
石川 一方で毛沢東は、自分で文章を書くことにこだわりました。仮に署名がなくても、文章を読めば、「あ、これは毛沢東だな」とわかるほど、彼自身の思想が滲み出ていたように思います。
人民服を着た習近平
毛沢東の教養
池上 毛沢東の著作を読むと、彼が大量の古典を読んでいることが分かり、「この人は本当にすごいインテリだな」と感じます。その点、こう言うと語弊があるかもしれませんが、習近平は毛沢東ほどの教養がないということでしょうか。
石川 中国の政治家には、士大夫(古典の素養を持った支配層)の伝統があって、古典の教養はもちろんのこと、詩や文章に長じ、それを美しい字でつづることが求められてきました。そうした伝統的教養人が持つ資質からすると、習近平は毛沢東にまだ遠く及ばない気がします。人民共和国での教育は、おしなべてそうした伝統を軽んじるものであったところに、習近平の場合は肝心の青年期に文化大革命の混乱などで十分な教育を受けられなかったのです。
学歴では名門の清華大学を出ていますし、一応、法学博士です。ただ、当時の清華大学は今のような最高学府ではなく、政治的な振る舞いのよい人が優先的に入れる大学でした。また、法学博士と言っても、在職中に取得したもので、実際にどんな勉強をしたのかは分かりません。
池上 ただ、先生のご著書にも書かれていますが、毛沢東も湖南省の農家の出身で、当時は科挙試験を受けるための勉強もさせてもらえなかったようですね。高等師範学校を卒業後はすぐに司書や教師の職に就いていますから、それほど深い教育を受けていなかったと思うのですが。
石川 ええ。毛沢東は詩も書も主に独学です。また毛にかぎらず、初期からの党員の世代では、そうした技量を持つことがあたり前のことでしたが、毛の場合はそれが際立っており、誰が見ても恥ずかしくないレベルです。指導者になってからも、古典書を中心に9万冊もの蔵書を持ち、他方で故宮博物院から国宝級の書を取り寄せては、鑑賞かねがね臨書するなど、鍛錬を欠かさなかったそうです。
幻の習近平の字
池上 私も毛沢東の字は見たことがありますが、達筆ですよね。それで私が思い出すのは江沢民なのです。彼がトップの時代に中国に行ったら、さまざまな建物の中に直筆のサインや署名が書かれていまして、取材した中国人がそれを見て「恥ずかしいだろう。あんな下手な字を書くんだ」と批評していました。随分、厳しいなと思いましたが。
石川 そうですね。江沢民は墨をたっぷりつけて書くタイプで、雄渾とも言えますが、まあ並みの字といったところです(笑)。なのに、揮毫が大好きで、観光地など人目につくところへ行くと、必ずと言っていいほど、「江沢民体」の字にお目にかかれます。
池上 では、習近平はどんな字を書くのでしょうか。
石川 不思議なことに、習近平の書いた字は、ほとんど公表されておらず、ネットを探しても、確かなものは出回っていません。福建省や浙江省などの地方のトップを務めていますから、普通はサインや揮毫を求められ、あちこちで文字を書き残しているはずなのですが、それが見つからない。公開しないように規制をかけているのだと思います。
池上 もしかしたら、人様に見せられないほどの字なのかもしれないですね。先ほどの江沢民と同じように、指導者の書いた字が下手で、あれこれ論評されるとイメージが傷つきますから。
石川 ええ。ただ、実は習近平の字を確認できるものがあるにはあって、それが先ほどの著作集なんです。今、お見せしますが、この扉の自分の写真の下にあるサインペンでササッと書いたような字。「習近平」とありますよね。これが彼の直筆で、見ての通り、何とも言えない平凡な字です。
池上 なるほど。私も人のことは言えませんが、これはちょっとお粗末な字ですよね。
石川 北京には、党幹部向けの書店があって、もちろん毛沢東や習近平の著作集なんかが並んでいるのですが、店の一角は書道コーナーになっています。書聖・王羲之から、それこそ毛沢東に至るまで、名だたる書家の作品集が並んでいる。つまり現役の幹部、あるいは退職した幹部なんかにしても、書道は指導者がたしなむべきものなんですね。
ただ、習近平にはそのような修練を積んだ形跡がない。演説で古典を引用することはしばしばあっても名句集や金言集くらいのレベルで、どうしても毛沢東には遠く及ばない印象を抱いてしまいます。
第2の文化大革命
池上 習近平と毛沢東を経歴や能力の面で比べると、確かにその違いばかりが目立ちます。ただ一方で、習近平を見ていると、やはり「第2の毛沢東」を目指しているんだろうな、と感じることが多々あります。その一つは「文化大革命」をめぐっての見解です。彼は必ずしも否定的ではない。
石川 たしかに、文化大革命のときに辛酸を舐めた経験があるにもかかわらず、実はその経験こそが自分を鍛え、中国の現実を教えてくれた、と必ずしもマイナスとは捉えていないふしがありますね。
池上 私は習近平がある種の「第2の文化大革命」をやろうとしていると感じるんです。例えば最近、中国のタレントや女優が大金を稼ぐと、脱税などで叩かれる事例が相次いでいますよね。
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source : 文藝春秋 2022年4月号