最悪のケースに備えておく必要
阿南 従来の日本の国レベルにおける安全保障に関する議論は、法律解釈が中心で、有事の際の具体的対応にまでは十分踏み込めていません。安全保障の重要性を強調すると「軍国主義の復活」と言われかねない風潮も依然としてあります。戦争や軍隊に対する日本国民のアレルギー反応は、敗戦という大きな犠牲を払って手に入れた社会的財産だと思います。
一方、日本を取り巻く安全保障環境が急速に悪化している現実から目を背けることもできません。ウクライナの惨状を直視し、欧州の安全保障が揺らいだ理由を分析しつつ、日本が同じ事態に陥るのをどうやって防ぐのかという議論を重ねることも平和の維持にとって不可欠です。安全保障で重要なことは「決め打ちをしない」こと。あらゆるシナリオを想定し、最悪のケースに備えておく必要があります。
古川 全く同感です。いま日本がやっておくべきことは何なのか、政治家や官僚、地方自治体まで含めて徹底的に考えるきっかけにしないといけない。北朝鮮は、まさにそれをやっているわけですからね。
山下 ちょうど、日本の安全保障議論は大きな節目を迎えますね。第二次安倍政権下の2013年に初めて策定された国家安全保障戦略と、それをもとに作られた防衛計画の大綱(防衛大綱)、中期防衛力整備計画(中期防)のいわゆる「三文書」が年内に改定されます。いま見直しが進んでいるところですが、ウクライナの教訓をいかにこの「三文書」に反映させるか、この座談会でも議論しておきたいところです。
小泉 北朝鮮の現状を見ると、幸いなことにノドンなど準中距離弾道ミサイル以外に日本を脅かす手段を持っていません。だから今のうちに弾道ミサイルを無効化できる能力を持っておきたいですね。
私はイージス・アショア(陸上配備型迎撃ミサイルシステム)が最適な選択だったと思います。一昨年、河野太郎防衛大臣(当時)が秋田と山口への配備計画の断念を発表しましたが、この挫折によって日本はいまだに貴重なイージス艦をBMD(弾道ミサイル防衛)から解放できていない。これは大きな戦略的損失です。政府はイージス・アショアがなければ、日本の限られた防衛予算のなかで安全保障を確保できない、と国民にあらためて訴えるべきです。安倍さんの時代から政権が2度代わっているのですから、もはやタブーでもない。
阿南 たしかに、北朝鮮のミサイルが日本上空を通過した事件やJアラートなどは、日本人の意識に少なからず影響を与えているようです。東北大学で私が教えている秋田出身の学生も、その事件やイージス・アショアの秋田配備を巡る問題をきっかけに、安全保障を身近な問題と捉えるようになったと言っておりました。
日本の国土も戦場になる
山下 実は、河野大臣がイージス・アショアを断念した時、すでにアメリカから新しい防空システムの情報が入っていました。宇宙空間に上がってきた弾道ミサイルに、人工衛星から発射した小さな弾丸を命中させて軌道を逸らせる構想です。この情報も河野大臣の判断に影響したようです。これならもっと安上がりかも、と考えたのかもしれない。
イージス・アショアはアメリカからの購入費用で莫大なコストがかかる一方、飛んでくる弾道ミサイルを100%撃ち落とせるわけではありません。先ほど第2章で申し上げたように、防御能力を凌駕する飽和攻撃を受けた場合のことも考えておく必要があるでしょう。
古川 そもそもアジア諸国のミサイル保有量が増えている状況で、日本は防衛システムだけ持てばよいのか、という疑問もあります。小泉さんがおっしゃるように防衛予算は限られているので、より安価な巡航ミサイルなどの攻撃手段を、現行の法制のなかで充実させていく方向も検討を進めるべきでしょう。
小泉 そうですね。費用対効果がいいのは、攻撃してきた相手に、「応分の負担で撃ち込むぞ」という攻撃能力ですから。
山下 そのためにも、政府には、「専守防衛」の在り方について議論を深めてもらいたいですね。敵の攻撃を受けてから防衛作戦を開始するということは、わが国の国土が戦場になることを認めるということです。現在のウクライナがまさに専守防衛のいい見本ですよ。いざ防衛作戦が始まれば、敵の砲弾もさることながら、敵が国土に上陸していれば、日米の火力も指向される。敵のミサイル発射基地だけに絞って叩く敵基地攻撃能力の議論もありますが、実際の運用は至難の業です。「敵基地反撃能力」、いわゆる対価を支払わせる能力を持つべきだと思います。
「恐怖の均衡」しかない
古川 北朝鮮のミサイル発射に関しては、ある程度対応が可能と踏んでいます。北朝鮮の基地やミサイル工場は衛星で監視されています。それらの動きを丁寧に分析すれば、発射の兆候を把握できる可能性は高いと思います。ICBM搭載の大型車両は目立つうえ、通行可能な道路網は限られます。ミサイル基地内等の地下坑道や地下施設もほぼ特定済みなので出入口さえ丁寧に叩けば、ミサイルを搬出できなくなります。
小泉 なるほど。基地から出てくると何カ月も野外展開するロシアのTEL(輸送起立発射機)と違って、北朝鮮のTELは発射時だけ姿を現すんですね。
現在の政府解釈では、相手が攻撃に着手した「明らかな兆候」が見られたら、先に叩いても専守防衛を逸脱しないとされています。ただ、その兆候を事前に判別して敵基地を叩き、ミサイル発射を阻止するのは技術的に極めて難しい。結局、撃たれた後に報復できる能力を保有することで相手の攻撃を抑止する、いわば古典的な「恐怖の均衡」を目指すほかない気がしています。山下さんがおっしゃっている敵基地攻撃能力は、事前の阻止ができるという前提ですか。
山下 いや、事前の阻止はかなり難しいと思います。現状では、ようやく一つのミサイルを事前に阻止できるかどうかというレベルだと思っていただいて間違いありません。法的には、相手がどこを狙っているのか不明な段階で事前に攻撃する命令がだせるのか。技術的に移動式発射台を発見する、いわゆる目標情報の収集能力もありません。日本は法的にも技術的にも、攻撃を受けた後の「反撃(報復)」しかできないというのが実情です。
小泉 敵基地攻撃能力がいろいろと議論されているけれど、現実的には、報復をおこなう能力とそのために必要な兵器とターゲティング戦略は、しっかり考えておく必要があるということですね。
弱体化した陸上自衛隊
山下 ウクライナ侵攻を受けて、防衛費の増額も議論されるようになりました。冷戦が終わって以降、微増に留まっていた日本の防衛予算では、航空自衛隊と海上自衛隊の戦力強化が優先されてきたのが実態です。本来であれば、師団や旅団といった陸上自衛隊の作戦基本部隊は火力・機動力・防護力のバランスの取れた編成をしなければならないのに、そうした部隊が配置されているのは北海道だけです。
小泉 しかし、アメリカに匹敵する能力を獲得しつつある中国が最大の仮想敵となると、北海道だけしっかり守ってもしようがない。アメリカの来援が望めない有事の初期段階では、しばらくの間、日本単独で人民解放軍に対して持ちこたえないといけない可能性も十分ありますから。
山下 おっしゃる通りで、日本の南西防衛では、離島に上陸してきた場合に反撃できるのかとなると話は別。先ほどのシミュレーションでも話題に上ったように、人民解放軍が日本と事を構えようとすれば、尖閣なり沖縄の離島なりを本気で奪おうとしてくるわけです。海・空だけで防ぎきれず、上陸されることも覚悟しなければならない。島であっても、反撃のためには陸の機甲戦力が欠かせないのです。
ところが、この30年間で戦車は1200両から300両に、火砲は1000門から300門に大幅に減らされました。陸自はほとんど骨と皮だけと言ってもいい状態です。
阿南 最悪のシナリオを想定した場合、今の日本の防衛予算では足りない。しかし、経済は長期停滞、国民生活も逼迫しているなかで、どこまで防衛予算を増やせるのか……。
山下 政府はこれまで対GDP比で1%程度だった防衛予算を今後5年間で2倍に増やす案を検討しているとのことですね。海外をみると、アメリカは3.29%、韓国が2.61%、オーストラリアが2.16%です。国民1人あたりの負担に換算すれば、アメリカが約22万円、韓国とオーストラリアが約12万円、割合が低いドイツでも約8万円。現在、日本は約4万円に過ぎません。政府には、こうした状況も踏まえて防衛予算増額の議論を行っていただきたい。軍事的な知識のない財務官僚が戦車の予算を1両単位で削っていく、といった不可解な査定の仕組みも見直す必要がありますよ。
日米同盟に頼るな
古川 近年、アメリカでは「セオリー・オブ・ビクトリー(勝利の理論)」という言葉が盛んに用いられています。軍事行動を起こした敵国に、その政治目標が容易には達成できないと悟らせる。これが「セオリー・オブ・ビクトリー」の基本的な考え方です。中国と違い日本は核兵器を持ちません。中国と軍事衝突した場合、核使用に至らないよう、日本は通常戦力を巧みに用いて中国側に目標達成の不可能性を悟らせる必要があります。日本には、中国が通常兵器やサイバー兵器を用いて繰り出してくる攻撃に柔軟に対応し、核使用に至る前段階で中国の意思を挫く能力が求められると思います。
山下 それに関連して言えば、通常兵器だけではなく、日本もNATO諸国のようにアメリカとの「核シェアリング」を考えるべきだと思いますね。これまで日本は、アメリカの核の傘に入っていることでなんとなく安心してきましたが、日本が中国に核を撃たれても、正直なところアメリカが核で反撃してくれるかどうかはわからない。それなら日本もアメリカの核を自国内に置き、有事の際にはそれで必ず反撃できる態勢を整えたほうがいい。岸田首相は、核シェアリングの議論はしないと断言していますし、現状では非核三原則に抵触するという問題もありますが、こういった議論をいつまでも避けていると、いざとなってからでは遅いですよ。
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source : 文藝春秋 2022年6月号