カトリックの修道女でノートルダム清心学園理事長をつとめる渡辺和子氏(1927年生まれ)が書いた『置かれた場所で咲きなさい』は、190万部を突破した大ベストセラーだ。宗教書や人生指南書の枠組みに収まらない傑出したエッセイだ。善き日本人で、善きキリスト教徒で、善き女性で、善き教育者であるという要素が渡辺和子という人格にそのまま体現されている。それだから、男女、世代を問わずにこの本が広く受け入れられているのであろう。渡辺氏は、29歳のときにナミュール・ノートルダム修道女会に入り、修道女になった。そして、36歳という異例の若さでノートルダム清心女子大学(岡山県)の学長に就任した。そのとき、ある宣教師から渡された詩が本書のタイトルになっている。〈Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)/「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。/置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守っていてくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。〉
ここで〈「見守っていてくださる方がいる」という安心感〉とさりげなく記しているが、渡辺氏は見守ることの辛さを体験している。それは、9歳の時、渡辺氏は父が目の前で殺される過程を見守った経験があるからだ。和子氏の父・渡辺錠太郎は、愛知県のタバコ製造販売業者の子に生まれた。軍隊で幅をきかせていた薩長土肥出身者ではない。家庭が貧しかったために、小学校を中退せざるを得なかった。陸軍に入ったのも、看護卒になりたかったからだという。当時の制度では、准士官の上等看護長になると医師開業免状を与えられたので、貧困家庭から医師になるためには、看護卒になるのが現実的な選択肢だった。入隊後、錠太郎は成績が優秀なので、中隊長から陸軍士官学校の受験を勧められ、合格した。その後陸軍大学校に進み、1903年に首席で卒業した。
父の最期の情景
父の思い出について渡辺氏はこう記す。〈父が一九三六年二月二十六日に六十二歳で亡くなった時に、私は九歳でした。その後、母は一九七〇年に八十七歳で天寿を全うし、姉と二人の兄も、それぞれ天国へ旅立ちまして、末っ子の私だけが残されています。事件当日は、父と床を並べて寝(やす)んでおりました。七十年以上経った今も、雪が縁側の高さまで積もった朝のこと、トラックで乗りつけて来た兵士たちの怒号、銃声、その中で死んでいった父の最期の情景は、私の目と耳にやきついています。/私は、父が陸軍中将として旭川第七師団の師団長だった間に生まれました。九歳までしかともに過ごしていない私に、父の思い出はわずかしかありません。ただし、遅がけに生まれた私を、「この娘とは長く一緒にいられないから」といって、可愛がってくれ、それは兄二人がひがむほどでした。〉
渡辺氏に、「軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」という父の考えが強い影響を与えている。〈外国駐在武官として度々外国で生活した父は、語学も堪能だったと思われます。第1次大戦後、ドイツ、オランダ等にも駐在して、身をもって経験したこと、それは、「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということでした。/「おれが邪魔なんだよ」と、母に洩らしていたという父は、戦争にひた走ろうとする人々にとってのブレーキであり、その人たちの手によって、いつかは葬られることも覚悟していたと思われます。その証拠に、二月二十六日の早朝、銃声を聞いた時、父はいち早く枕許の押し入れからピストルを取り出して、応戦の構えを取りました。〉
父の最期の瞬間について渡辺氏は、〈死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾の飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした。かくて父は、生前可愛がった娘の目の前一メートルのところで、娘に見守られて死んだことになります。昭和の大クーデター、二・二六事件の朝のことでした。/「師団長に孫が生まれるのは珍しくないが、子どもが生まれるのは珍しい」このような言葉に、母の心には私を産むためらいがあったとは、私が成長した時、姉が話してくれたことでした。そしてその時、「何の恥ずかしいことがあるものか、産んでおけ」といった父の言葉で、私は生まれたのだとも話してくれました。〉
渡辺氏が修道女となったのもこの原体験が強い影響を与えていると思う。イエス・キリストは、神の子でありながら十字架にかけられて死んだ。その様子を神は、見守っていた。神は沈黙していたが、イエスを見捨てたわけではなかった。イエスは他の人々の罪を身代わりになって引き受けたのである。イエス・キリストの犠牲の死が、9歳の時に渡辺氏の目の前で、独り善がりの正義を振りかざした青年将校たちによって殺された父の姿と二重写しになったのだと思う。イエスは、十字架につけられたとき、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。」(「ルカによる福音書」23章34節)と言ったと伝えられている。渡辺氏も、父を殺した青年将校たちに対して、同様の認識を持っているのだと思う。時代の犠牲になった父の人生から学んだ事柄を渡辺氏は、宗教と教育の世界で継承したのである。それだから、渡辺氏の助言は浮き足立っていない。現実から逃避してはならないと繰り返し強調する。渡辺氏は、〈心の悩みを軽くする術があるのなら、私が教えてほしいくらいです。人が生きていくということは、さまざまな悩みを抱えるということ。悩みのない人生などあり得ないし、思うがままにならないのは当たり前のことです。もっといえば、悩むからこそ人間でいられる。それが大前提であることを知っておいてください。〉と強調する。その上で、悩みの原因について、変化させることができるものと、そうでないものがあることを冷静に認識することの重要性を説く。
〈ただし悩みの中には、変えられないものと変えられるものがあります。例えばわが子が障がいを持って生まれてきた。他の子ができることも、自分の子はできない。「どうしてこの子だけが……」と思う。それは親としては胸を掻きむしられるほどのせつなさでしょう。しかし、いくら悲しんだところで、わが子の障がいがなくなるわけではない。その深い悩みは消えることはありません。この現実は変えることはできない。それでも、子どもに対する向き合い方は変えられます。/生まれてきたわが子を厄介者と思い、日々を悩みと苦しみの中で生きるか。それとも、「この子は私だったら育てられると思って、神がお預けになったのだ」と思えるか。そのとらえ方次第で、人生は大きく変わっていくでしょう。/もちろん、「受け入れる」ということは大変なことです。そこに行き着くまでには大きな葛藤があるでしょう。しかし、変えられないことをいつまでも悩んでいても仕方がありません。前に進むためには、目の前にある現実をしっかりと受け入れ、ではどうするかということに思いを馳せること。悩みを受け入れながら歩いていく。そこにこそ人間としての生き方があるのです。〉
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source : 文藝春秋 2016年2月号