犬と猫は、ペット(愛玩動物)の中でも特別の地位を占めている。最近では、コンパニオン・アニマル(伴侶動物)と呼ばれることも多い。筆者も5匹の猫(いずれも去勢済みの雄)を飼っている。それぞれ独自の性格を持った個性として、筆者は猫に接している。考えを整理するときに、猫を相手に話をすることもよくある。もちろん猫は言葉を話すわけではないが、猫に話すという行為で、筆者の頭の中にあった曖昧な発想が、きちんとした言語になることもよくある。その意味で、5匹の猫は筆者にとって有能な助手なのである。
過去数年、猫を飼う人が増加傾向にあるという。
〈ペットフードメーカーの業界団体「一般社団法人ペットフード協会」(東京都)は1994年から全国調査を実施し、犬と猫の推計飼育数を発表している。昨年の調査では、犬は1035万匹、猫は996万匹だった。調査対象を5万人に増やした過去5年で見ると、犬は12.8%減少する一方、猫は3.6%増えている。飼育世帯数では犬が上回るが、このペースだと今年の調査で猫の数が初めて犬を抜く計算だ。
今年の調査は今月9日で終わり、来年初めに発表の予定。協会の越村義雄名誉会長(67)は「犬を新たに飼う動きは低調だが、猫は2匹目を迎える人も増えている。散歩の必要もない猫は単身者でも飼いやすく、今回は犬猫が逆転するのではないか」と予想する。(中略)
飼い猫にまつわる著書がある精神科医の斎藤環さん(54)は「人への忠誠心が高く行動のわかりやすい犬に比べ、猫は謎めいて予測不能な面白さがある。動画などインターネットでの発信になじみやすく、ネット住民の盛り上がりが現実世界に波及している。一過性のブームでは終わらないだろう」とみる。(机美鈴)〉(2015年10月26日「朝日新聞デジタル」)
最後まで読み切れない理由
確かに斎藤環氏が指摘するように、人間の言うなりにならない猫には「謎めいて予測不能な面白さ」がある。猫ブームになると、必ず読み直されるのが日本における猫小説の古典で、夏目漱石の処女小説でもある『吾輩は猫である』だ。筆者もこの本について、猫好きの人と話すことがあるが、話題になるのは、ほとんどの場合、冒頭第一話のエピソードだけだ。「この小説の終わりはどうなっているのですか」と尋ねても、答えられる人は半分もいない。要するに多くの人が手には取るが、最後まで読み切ることができない作品のようだ。
それには理由がある。この小説は、全10話からなる長編だ。『ホトトギス』1905年1月号に第1話が掲載された。漱石としては1回で完結するつもりで書いたのであるが、高浜虚子が「面白いから続きを書け」というので、結果として長編小説になった経緯がある。『吾輩は猫である』は、第一話で端的に描かれている猫の生態を写実した部分と、漱石が猫に仮託して、文明、人物、政治、国際情勢などについて考察した思想的内容に分かれる。そして、作品が進むにつれて、思想的考察の比重が高まっている。従って、思想にあまり関心を持たない読者からすれば、途中から猫小説でなくなってしまうので、つまらなくなって放り出してしまうのだと思う。
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source : 文藝春秋 2016年1月号