8つ年下の妻、畑恵(元参議院議員)と食事をする姿を「フライデー」に「渋谷“日曜デート”」と報じられたのは、1996年7月のことでした。自民党外交部会長、経済企画庁長官を歴任し、「政界のプリンス」と持て囃された時期もありますが、妻子ある身で起こしたこのスキャンダルで落選の憂き目に。今でも支持者から「もったいない」と言われますが、後悔はしていません。
初めて畑恵に会ったのは、彼女が新進党から初出馬した1995年の参院選の直前です。あいさつに来た彼女は比例代表の候補。当時は政党名だけを書く拘束名簿式だったから、「名簿順位は大丈夫なの?」と尋ねたのを覚えています。16番目だというからダメかなと思いきや、党は票をぐんぐん伸ばし18番目まで当選。奇跡が起きたと思った。
その少し前から、私は、政界再編の渦中にいました。改革の志に燃えて宮澤内閣に辞表を出し、小沢一郎氏や羽田孜氏と一緒に自民党を飛び出したのが1993年。前述の参院選で躍進した直後の新進党の党首選に羽田氏を担いで敗れた。1996年4月に鳩山由紀夫氏との新党構想を新聞にすっぱ抜かれると、羽田氏からも突き放され、孤立。この窮地に行動を共にした同志が畑恵です。
当時述べた「あくまで政治をやっていく仲間」という釈明に、偽りはありません。実際、鳩山氏との密談にも畑恵は同席していた。ただ、しょっちゅう顔を合わせるうち、男女間の感情を抱いたのも、事実です。
彼女は有益な助言をくれる女性でした。政治経験は浅くとも、どう世間の目に映るかといった見立ては的を射ていたし、テレビの看板キャスターとして生きてきただけに肝も据わっていた。優柔不断な私に「今さらそんな事を言ってはダメ」「有権者に響くのはこっち」と。私は自分を映す鏡のように感じていました。
前妻との間で離婚に向け話し合いを始めましたが、丁寧にやるほど時間がかかる。2年が経つと畑恵が業を煮やし始める。1998年、彼女が「さほど時を置かず入籍のご報告をする」旨の親展の手紙を各方面に送る挙に出た時には、参りました。「出す」とは聞いていましたが、なにしろまだ離婚協議のさなか。マスコミに漏れ、またも大騒ぎです。
「船田マジメ」と言われていた私のイメージは一変しました。誹謗中傷も含め批判は受け止めましたが、「政界失楽園」と書かれるのには、ちょっと違和感があるのです。
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