香りがこわい

特別エッセイ

佐藤 厚志 作家
ニュース 社会 芥川賞 ライフスタイル

香水、柔軟剤、芳香剤、整髪料……
においの話題がためらわれるのは、なぜだろう?

カット・ナカノヨーコ

 幼い頃、母がキッチンで食器や布巾をハイターにつけていると「くさい、くさい」と大騒ぎした。吐き気を催して気分が悪くなった。祖母が美容院にいって強烈なパーマ液のにおいを纏って帰ってくるのも嫌だった。身だしなみに気を遣う祖母は、樟脳のにおいのするよそいきの服を着て、パーマのかかった頭にさらにスタイリングスプレーを大量に噴射した。私はゲホゲホと咳き込みながら抗議したが、優しくも頑固であった祖母は子供の苦情を受けつけなかった。

 なぜそんなに嗅覚が過敏かといえば、アレルギー体質のせいである。アレルギー性鼻炎、結膜炎、小児喘息、アトピー性皮膚炎と、家族にアレルギーのデパートと言われた。とにかく外部からの刺激に対して、意思とは無関係に体が過剰に反応してしまう。神経質な性格になってしまい、強いにおいを嗅ぐと攻撃され、自分の領域を侵されていると感じるようになった。今もハイターのにおいで吐き気を催し、頭痛がする。

 時々、喫茶店で原稿仕事をしていると、強いにおいを発している客に出くわす。けっこう頻繁にある。においといっても様々だが、最も気になるのは香水だ。

 朝一番で珈琲の香りを楽しもうという時、隣の席から刺激臭が流れてくると暗澹たる気持ちになる。気が塞いで、やる気も削がれて、一日が台無しだ。頭からかぶってきたんじゃないかと思うくらいの香りを振りまかれたら、仕方なく席を移動するしかない。他に席が空いていればいいが、満席だと困る。まさかプンプンにおう人に向かって「出ていってくれ」とは言えないのでこちらが出ていく。

 アパートやマンションの騒音トラブルもそうだが、多くの場合、迷惑を被った側が離れていって迷惑をかけた方は他人の気持ちも知らないでその場に居座るものだ。

 まさにこの原稿を喫茶店で書いている時、隣から頭が痛くなるほどの香水臭が漂ってきた。ディスカウントストアの店頭に積みあげられているような尖った攻撃的な香水のにおいである。脇を窺うと、二十歳くらいの若い男二人が脳天をつき合わせてスマホゲームに夢中になっている。香水がどちらから漂ってくるのかわからない。時折「うわ」とか「よし」と彼らが体をのけぞらせる度に店内の空気がかき乱されてにおいが届く。

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source : 文藝春秋 2023年11月号

genre : ニュース 社会 芥川賞 ライフスタイル