岡本喜八映画と戦中派の“叫び”

前田 啓介 読売新聞記者
エンタメ 映画 読書

 岡本喜八、本名岡本喜八郎は1924年、鳥取県米子市に生まれた。1943年、明治大学専門部を卒業後、東宝に入社。成瀬巳喜男の助監督として映画制作にかかわった。だが、その期間は短く、1944年8月、特別甲種幹部候補生に合格すると、翌年1月、千葉県松戸市にあった陸軍工兵学校に入校する。間もなく空襲の激化や本土決戦に備えるため、豊橋陸軍予備士官学校に移駐し、ここで終戦を迎えた。21歳の時だった。

 この豊橋でB29から爆撃を受け、戦友を失った体験は、喜八が戦争をテーマにした作品を数多く制作したことにつながっている。しかし、喜八自身の書いたもの、語ったものを調べると、その空襲での死者数は30人近いものから10人くらいまでと随分幅があった。最近上梓した拙著『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』(集英社新書)では、喜八作品の核となったこの出来事の実態を、その場に居合わせた他の候補生や上官の手記などを用いて、検証した。

『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』(集英社新書)

 ほかにも、細かい話ではあるが、喜八が米子から上京した直後に住んだ下宿先を特定した。喜八がエッセイなどで駒込・吉祥寺前に住む「W先輩」の実家である材木屋と書いていたので、戦前の電話帳や終戦後まもない地図などを頼りに探したが、吉祥寺前に「W」が付く材木屋はなかった。それでも探し続けると、偶然にも恵まれ、何とか「W先輩」のご息女にたどりついた(材木屋ではなかったが)。

 虚実皮膜の境を見極める調査をすればするほど、喜八の実像に肉迫していく感覚があった。特に、1942年9月から43年11月までの1年3か月分の日記が見つかったことは、大きな手がかりとなった。書かれたのは、明治大学専門部の2年生から成瀬監督の助監督を務めていた時期だ。

 東宝の入社試験に挑んだものの試験場の雰囲気に気圧され、さらに合格率の低さを知り暗澹とするも、希望を失わず、些細なことで一喜一憂する青年の姿は、映画監督・岡本喜八ではなく、紛れもなく岡本喜八郎そのものだった。

 タイトルとなった「おかしゅうて、やがてかなしき」は、ある雑誌のインタビュー中、喜劇について語った喜八の言葉をもとにしている。編集者の方から、この言葉をタイトルにと言われたときは嬉しかった。喜八作品を観た後のふっと湧き起こる哀しい気持ち。これが、喜八映画の本質だと思っていたからだ(拙著ではこの言葉を「喜八作品の神髄」と表現した)。

 私の中にもタイトルの腹案があった。『ばかやろー 岡本喜八とその時代』だ。「ばかやろー」は、喜八の自伝的作品『肉弾』(1968年)の中に出てくるセリフだ。特別甲種幹部候補生の主人公「あいつ」は、魚雷を結びつけたドラム缶で海上を浮遊し、敵艦に突撃する時を待っていた。だが、その時は来ず、終戦を迎える。終戦したことを教えてくれた伊藤雄之助が操縦する船に曳航されながら、「あいつ」が叫ぶ。「ばかやろー」と。やがて、場面は「昭和四十三年 盛夏」の海岸を映す。水着姿で楽しむ若い男女。ここでも「あいつ」が「ばかやろー」と叫ぶ。

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source : 文藝春秋 2024年3月号

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