堂々とうたえる渡辺篤
「マダムと女房」(1931・松竹蒲田)は、本格的トーキー映画第一作、というのは変な形容だが、してみると、パート・トーキー映画なんていうのがあったのだろうか。そういう野心的な映画かと思うと、主演が渡辺篤ときてズッコケる。時代のカラーが出ていて良い。
渡辺篤が主演して、〈マダム〉が伊達里子、女房が田中絹代。これは〈マダム〉がジャズで暮らすモダン・ガール、田中絹代が劇作家(渡辺篤)の妻という、いかにも面白そうな映画。きこえてくる音がちがいそうで、二人の間の渡辺篤の顔を思い浮かべると、見たくなる。
渡辺篤は大好きだった。浅草オペラ出身だから堂々とうたえるし、だから、黒澤明は「どですかでん」でうまく使った(黒澤明は「虎の尾を踏む男達」でエノケンを使い、「生きる」で市村俊幸を見事に使っている)。渡辺篤はロッパ一座の大物で、ロッパが老人役になり、渡辺は大きな扇子をもったガラマサどんで、「熱い熱い」と大声でわめきながら大股で出てくると、有楽座中の客は爆笑した。そういう人が騒音に悩まされるというのがおかしいし、アイディアがいい。演出は五所平之助だが、どこで考えたのだろう。
「妻よ薔薇のやうに」(35・P・C・L)
成瀬巳喜男の戦前の代表作。今となっては、ストーリーには驚かない。手法といいますか、次のシーンの音が先行してくる〈ずり上り〉にハッとしてしまう。
「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(35・日活太秦)
アメリカ映画「歓呼の涯」のプロットは、引退したボクサーがマネージャーの遺児を引きとり、恋人と喧嘩しながら育てるというもの。それを使って、丹下左膳(大河内伝次郎)の喜劇版を作った若い山中貞雄のアイディア勝ちですな。大河内伝次郎が〈大河内伝次郎のパロディ〉を演じて笑わせる必見喜劇。昭和二十年代には場末の小屋でよくやっていた。
小津のコメディにぞくぞくする
「河内山宗俊」(36・日活太秦)
これも山中貞雄。戦病死でなく、生きていたら、面白い映画を何本作ったのかと思う。山田風太郎さんが書いていたが、少女だった原節子の美しさにしびれる。河内山その他の悪党が彼女の処女を守るために死んでゆく。このパターンって、アメリカ映画にあったのじゃないか。西部劇とか。
「淑女は何を忘れたか」(37・松竹)
エルンスト・ルビッチがいかに偉大か。ルビッチ直伝のソフィスティケーテッド・コメディを小津安二郎がやっていた。「一人息子」だけが名作じゃない。和製メルヴィン・ダグラス(斎藤達雄)と姪のモガ(桑野通子。桑野みゆきのお母さん)がモダン都市東京を浮かれ歩く。ぞくぞくする楽しさだ。〈何を忘れた〉のでしょうか。ツツシミだそうです。
「人情紙風船」(37・P・C・L/前進座)
天才山中貞雄の遺作。破滅してゆく長屋の人々をとらえたハリー三村こと三村明のキャメラの明るさにぞっとする。山中貞雄、翌一九三八年、中国大陸で戦病死。二十八歳。
「限りなき前進」(37・日活多摩川)
原作・小津安二郎、監督・内田吐夢。近年、フィルムが発見され、不完全な版を見た。戦前は諷刺作家といわれた内田吐夢の仕事がうかがえる。リストラによって生活が狂う初老サラリーマン(小杉勇)の悲劇。
小津安二郎はマナジリを決して見る映画と考えているが、幸い清水宏の映画は二本立ての片方とか、なんとなくという感じで見ている。そういう自然さがいい。
伊豆を走るバスの話「有りがたうさん」がそうだ。小学校では「みかへりの塔」を無理に見せられたが、時代のせいで仕方ない、それは。
「按摩と女」(38・松竹)は、どういうきっかけで見たか不明。徳大寺伸と日守新一(!)扮する温泉名物の按摩の片方が、旅の女(高峰三枝子)に心をひかれる。女は馬車に乗って去ってゆく。そういうなんということない小品、清水宏のありがたいところだ。
エノケン悟空は役者ぞろい
ここらで、エノケン単独の映画を一本。
三十近くなって、必要があり、エノケンの昔の映画を見た。「どんぐり頓兵衛」「ちゃっきり金太」前後篇、ほかを見たが、面白いのだが、完全版がない。あまりに売れ過ぎて、日本全国で上映されたせいだろう。
数少ない完全版に、「エノケンの頑張り戦術」(39・東宝)があった。エノケンが会社の同僚と争う話で、監督はのちに「東海道四谷怪談」で名をなした中川信夫である。中で、トマトはトメートと発音するんじゃないか、という件りは、フレッド・アステアの映画にあるのだった。晩年のエノケンさんに聞くと、楽譜が読めない監督とは仕事をしたくないときびしく言った。
封切時に見た「孫悟空」〈前・後篇〉(40・東宝)をビデオで見返した。皇紀二千六百年の記念映画だから、日本の中国侵略が隠れテーマになっている。それを盛大なアメリカニズムでカヴァーしている奇妙な作品。山口淑子が李香蘭の名で特別出演している。
配役は、三蔵法師=柳田貞一、猪八戒=岸井明(ジャズ歌手)、沙悟浄=エノケン一座の金井俊夫、そして孫悟空がエノケンである。これは戦後の三木のり平の「孫悟空」よりずっと役者が良い。以下、脇役なども高勢実乗とか、ギャグ、芸のある人が多い。監督は山本嘉次郎(黒澤明が助監督だったのではないかと思う。中村メイコが出るシーンの背景の奇怪な山が黒澤好み?である、これは私の推測だが)。
長い映画の前半は浅草オペラ、後半は未輸入だったディズニー長編の影響があり、「ハイ・ホー」などの曲が使われている。むろん、戦前は無許可で使った。
宮川一夫のキャメラ
「馬」(41・東宝)
封切時には、監督山本嘉次郎で売られたが、今ではパンフレットに〈黒澤明〉の名がちゃんと出ている。高峰秀子出演の〈一年がかりの東北農村ロケ〉映画。軍馬が生まれて育つまでの涙のセミ・ドキュメンタリー作品。
ウレシイ映画、もう一本。マキノ正博(雅弘)の「待って居た男」(42・東宝)だ。小国英雄脚本でマキノの演出というと、〈絶対に面白い保証〉があった。この映画は、アメリカ映画「夕陽特急」の巧妙なパクリか。犯人の設定が意外である。アメリカと大戦争をやっている時なのに!
長谷川一夫と山田五十鈴が名探偵役で、夫婦がバラバラで旅に出て、殺人事件にあう。アメリカねたらしいのは、土地の目明しとしてエノケンが出てくる。長谷川一夫、山田五十鈴で商品としては完全なのに、なおもエノケンが出る。これがマキノ映画。
犯人が××なので、これは意外。文句が出る前にエノケンが虎造節で歌う「これで映画はおしまい!」(マキノはすごい)。
高峰秀子
© SHOCHIKU FILMS / Album / Oshima PRODUCTIONS / Mary Evans / Ronald Grant Archive
「姿三四郎」(43・東宝)黒澤明の処女作。面白いシナリオを書く新人として知られた黒澤のおどろくべき作品。双葉(十三郎)さんは〈ビックリ仰天した〉と書いている(『日本映画 ぼくの300本』)。
これを初めて見る人は幸せだ。姿三四郎(藤田進)の恋、乱闘、戦いをこれから見られるのだから。天才の第一作というのはワクワクさせるもの。このあとの「続 姿三四郎」も良いし、おたのしみはこれからだ。
「無法松の一生」(43・大映)
戦争中になぜ、こんなに凄い映画が作られたのか? バンツマこと阪東妻三郎がチャンバラをすて、軍人の未亡人への献身に生きる。宮川一夫のキャメラ必見。脚本・伊丹万作。演出・稲垣浩。
「大曾根家の朝」(46・松竹大船)
軍部への怒りを木下惠介が爆発させた。敗戦の翌年、それをホームドラマでやるのが木下らしい。悪役(軍人)は小沢栄太郎。傑作。
「銀嶺の果て」(47・東宝)
新人・三船敏郎を含む三人の男が銀行をおそい、日本アルプスに逃げこむ。寒い時に、などと言うなかれ。黒澤明の脚本だ。ひとりで拳銃を掃除している三船が(拳銃が初めてに見えず)、鬼気迫る。撮影の荷物を無名の岡本喜八が山に運んだ。
「お嬢さん乾杯!」(49・松竹)
原節子の悪口をいう世評に木下惠介が腹を立てて作った名作。五十本の中で、この名作だけは見て下さい(原節子はこの年には、名作に多く出ていたのだ)。
野蛮な男(佐野周二)とレディ(原節子)の恋というアメリカのロマンチック・コメディのパターンを、脚本の新藤兼人が生かした名作。終わりに近いところで「愛染かつら」のメロディがかすかにきこえます。さすが、松竹!
「晩春」(49・松竹)
戦時中はもちろん、戦後も「長屋紳士録」「風の中の牝鶏(めんどり)」と、一般的に〈不調〉といわれた小津安二郎が、妻を亡くし、娘の幸せを考えている父(笠智衆)と、父の身を案じている娘(原節子)のしずかな生活を描いて、戦後の〈小津調〉の基本をとりもどした名作。黒澤、木下ら、みんなが元気になった昭和二十四年作品。
「野良犬」(49・新東宝/映画芸術協会)
「酔いどれ天使」につづく黒澤明のヒット作。ピストルを盗まれた白スーツの刑事(三船敏郎)が東京のあちこちをさ迷う。河村黎吉(れいきち)が出る、後楽園球場も出る、黒澤明好きはうっとりするしかない。アメリカで好評。
森繁の石松は名演だ
「西鶴一代女」(52・新東宝/児井プロダクション)
溝口健二がどうも少ないのは、封切で見ていないからだ。この映画は武士の娘が街娼になるまでを描いて、背筋が冷たくなった。ヴェネツィア映画祭で評価され、監督は海外での評価に目ざめる。
「本日休診」(52・松竹)
渋谷実が描く戦後風景。三國連太郎が戦争の悪夢を見る男を演じた。この年、渋谷実には「現代人」という秀作あり。
「原爆の子」(52・近代映画協会/民芸)
新藤兼人が監督になり、原爆の残酷さを告発した。
「稲妻」(52・大映)
スランプを脱した成瀬巳喜男は「めし」「おかあさん」といった秀作を放つ。東京の下町で貧乏だった私はこの映画の高峰秀子に同感。
「生きる」(52・東宝)
戦前の名監督が立ち直り始めたこの時代、黒澤明は松竹の名脇役、日守新一を起用して秀作を作った。
「東京物語」(53・松竹)
尾道に住む老夫婦が上京して、子供たちに会ってゆくが、どこも良い顔をしない。喜んで親身になってくれたのは戦死した息子の嫁(原節子)だけだった、というリアリズム。老夫婦は尾道に帰り、老妻は急死する。笠智衆と東山千栄子の老夫婦が見事。こうしたドラマは日本だけではない。世界中で感動を呼び、静かな悲劇は小津安二郎の代表作となった。
「東京物語」
© SHOCHIKU FILMS / Album / Oshima PRODUCTIONS / Mary Evans / Ronald Grant Archive
「女の園」(54・松竹)
木下惠介のピークはこの映画ではないか。京都の封建的な女子大を舞台にしている。寮母役の高峰三枝子がこわかった。
「七人の侍」(54・東宝)
忘れもしない、大学三年のとき、この映画と「ゴジラ」が東宝を代表していた。
「七人の侍」は大ヒットして、アメリカでは「荒野の七人」になるが、アメリカ版で面白かったのは、スティーヴ・マックィーンのみ。
日本版は三船敏郎と宮口精二(剣豪)がとび抜けていた。登場人物全員が過去を背負っている。ラストまで息もつけない。好きだなあ、こういうの。
「次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊」(54・東宝)
森繁久彌にとっても想い出の映画らしく、マキノ雅弘の演出ぶりを活写してくれた。斬られたとたん、片眼があいてしまうやせた石松、名演。
「スター・ウォーズ」の元ネタ
「浮雲」(55・東宝)
成瀬巳喜男の最高傑作が出た。日本の名監督たちが敬礼した映画。森雅之が出ると、こうなるのか、と思う。
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