「難民」に敬意を持って描く
おもしろい構成の一冊である。まず詩ではじまる。それから、2016年瀬戸内国際芸術祭に展示された、台湾のアーティスト林舜龍氏によるインスタレーションの描写がある。砂で作られた200人ほどの子どもたちは、風雨と潮に身を削られていく。アーティストは、トルコの海岸に流れ着いたシリア難民の子どものことを知り、この作品を作るに至った。
小説全体の軸には、フリーランスの日本人ビデオ・ジャーナリストと、2010年、戦争開始直前のイラクで彼と親しくなったシリア人のラヤンがいる。難民を取材するラヤンの現在の旅に、古今東西の難民の声が時空を超えて響き合う。イラク戦争、シリア内戦、ユーゴスラビア紛争、トルコの弾圧によって、故郷を離れざるを得なくなった人たちの。
難民という言葉は、日本で暮らす私たちには縁遠く、自分に直接的には関係ないものとして聞こえる。その歴史からひもとくには情報が膨大すぎるし、ある特定の難民について知ろうとすると、その背景のあまりの複雑さに、よほどの興味や使命感がなければ、知ることそのものを放棄してしまう。かくいう私がそうだ。その政治的・宗教的・歴史的背景の複雑さが、自分とはいかにもかかわりなく思える要因だ。
しかしながら本書は、そういうことじゃないですよ、とひどくしずかに伝える。難民は、むずかしい方程式で導き出された複雑な「状況」ではない。背景が複雑だったとしても、故郷を出ざるを得なかった人々のありようはシンプルだ。私たちの祖父母や曾祖父母にも、満州からいのちからがら日本を目指した難民がいるかもしれない。
この作品は、難民の悲惨さに焦点を当てていない。シリアからヨーロッパを目指す人たちは、ときに荒れた海をゆくゴムボートに詰めこまれ、ときに野犬の群れに襲われる。それでも小説は、故郷を逃れてきた者同士のさりげない結束や、支援をするボランティアスタッフの姿など、何か祈りに似たようなものごとを、より鮮明に描く。だから、受け入れ国を目指すタラールの旅も、1980年代の東京にたどり着いたターリクの日々も、希望の光に導かれているように感じる。
しかしそれは、現実ですでに人間扱いされず「難民」とひとくくりにされる彼らを、この作品では敬意を持ってひとりの人として描くのだという決意にも思える。人間が引き起こした、収拾不可能な悲惨さのなかで、同じ人間の持つうつくしく気高いものを、作品じゅうにさりげなくちりばめているように感じられる。
だからこそ、この一冊全体からは、いき場のない怒りとかなしみが漂う。それはラスト、2001年に作者がはじめて難民について書いた文章に端を発している。このときから23年が経過した。時間の経過と人間の成長にまったく関係がないと、この文章は証明する。この23年間で難民は爆発的に増え、今なおその数は膨れ上がっている。そして難民を「遠くの、自分とは関係ない存在」にしないためには、作者が23年前に書きつけたとおり、想像するしかない。想像のなかの死体だらけの道を、絶望を抱えて私たちも歩き続けるしかない。彼らとともに。
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