「戦争作家」が語る普遍的な言葉
自身が徴兵されたベトナム戦争を題材にした小説を、一貫して書き続けてきたティム・オブライエンは、もともと多作な作家ではないけれど、2002年刊行の『世界のすべての七月』を最後に、沈黙を守ってきた。だから書店の新刊棚でこの名前を見つけたときは驚喜した。
邦訳のタイトル通り、この本は、2003年と05年に生まれた息子、ティミーとタッドに読まれることを前提として書かれたエッセイだ。泣き続ける赤ん坊への戸惑いが、子どもたちの成長の記録が、ヘミングウェイ作品の考察が、手品と物語への愛が、自身と戦争の関係が、どう生きるべきかの提案が、的確な文章で書かれている。息子たちへの私信もあるが、しかしそれすらも驚くほどまっすぐ、読み手の私に浸透する。
「ベトナム戦争作家」と呼ばれると作家自身も本文に書いているが、若き日の戦争体験が、いかにこの作家の隅々に影響を及ぼしているかが苦しいほどに理解でき、同時に、その「戦争作家」が語る言葉はけっして特殊なものではなく、時代も状況も超えたまったく普遍的なものであると気づかされる。
どきりとしたのは、彼の戦友の多くが、ティム・オブライエンの著書の話をしないようにし、腹を立ててすらいる、という記述だった。帰還兵の多くは自身の経験を誇りに思っている。その相違点にもかかわらず、作家は戦友たちを愛してやまない。そうした心の複雑さを、作家は安易な感傷でごまかさず、冷徹なまでに分析し、明快な言葉にしていく。
戦争体験を誇りに思うその他大勢のなかで、罪悪感と羞恥心を拭うことなく、自身の体験、戦争の正体に向き合い続け、それを言葉にしていくのは、どれほどの精神力と胆力が要るのだろうと、途方もない気持ちになる。その精神力と胆力を支えているものは、剛気や勇敢さではなく、繊細さでありやさしさだと思うのだ。息子たちに向けられた言葉だからこそ、そのことがよりいっそう伝わってくる。
かつて作家の父は、10代になったばかりの息子にヘミングウェイの小説を読ませた。その後もずっと作家は彼の作品を読み続けるが、戦争を体験したことで、解釈ががらりと変わっていく。「父のヘミングウェイ3」の、ヘミングウェイと戦争と死の考察には、まるで授業を受けているような興奮と気づきがあった。
そんなふうに、細部に至るまでこの本は読み手に近づき、作家の生の声を届ける。原文の魅力を損なわず、簡潔でわかりやすい注釈も織り交ぜてくれた訳者の力量でもあるだろう。「息子たちへ」でもありながら、「次世代のすべての人々へ」向けられた、ティム・オブライエンの真摯で機知に富んだメッセージである。
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source : 文藝春秋 2023年8月号