残酷で小心で場当たり的
学生時代に連合赤軍リーダーだった永田洋子の『十六の墓標』を読んだときの衝撃は忘れられない。総括という名のもとに榛名山の山岳ベースでおこなわれた仲間へのリンチ殺人の数々。その凄惨さもさることながら、しかし私がうけた衝撃の真の正体はそこにはなかった。むしろ、純粋だったはずの若者の革命の理想がなぜこのような歪なかたちで終わるのか、そこにあった。私は彼らの革命への希求を社会問題ではなく実存の問題として読んだわけだ。生を完全燃焼させる方途としての革命。おなじ観点から登山や探検にあけくれていた私にとって、彼らの運動と自分の探検は方向性が完全にかさなっていた。それがこのような悲惨な結末をむかえたのである。
永田の本で最も謎めいていたのが、もう一人のリーダー森恒夫の存在だった。残酷で小心で場当たり的。読むかぎり指導者としての資質にかけていたように見えるが、それゆえ、なぜこのような人物が指導者になったのか不思議だった。いかなる葛藤をかかえて仲間への総括を強いたのか、あるいはそんな葛藤などなかったのか……。それが気になったが、彼は法廷で裁かれる前に拘置所で首をくくって自殺している。それ以来ずっとその人物像がどこかで引っかかっていた。その森に関する本が出たわけだから、読まずにはいられなかった。
本書は森恒夫の残像を追った若い書き手の旅路をつづったものだ。私と赤軍兵士とのあいだにも親子ほどの世代のちがいがあるが、本書の著者佐賀旭にはさらに大きな隔たりがある。その時間的に断絶した若い書き手が、なぜこのような古びた事件と人物に関心をもったのか、ポイントはそこにありそうだ。
この本には事件の詳細が書かれているわけではない。輪郭が時折描かれるだけで、むしろ事件や時代、人物に接近し、理解したいともがく、著者の煩悶のプロセスが書かれている。客観的、科学的姿勢でのぞむ研究者的態度ではなく、ひとりの人間が、事件を引き起こした森という指導者に触れたときに飛び散る火花が記されている。そんな作品だ。
ネットやAIが当たり前の世代と、ヘルメットにゲバ棒の昭和世代。ほとんど別の時代、別の国にすら思える断絶を越えて、あの時代の人々に共振しようと努力する著者の姿を追いながら、私は、その動機の根底を考えていた。それは私が永田の本を読んだときに抱いた「自分と彼らは何も変わらない」という思いと似たものだったのかもしれない。あらゆる価値が失墜した現代において、絶対的なものを信じて戦った者への恐れと憧れが行間からにじむ。
時代を越えて両者をつなぎあわせるものは何か。それは、お前はおのれの倫理にしたがい生きているのか、という自問ではないだろうか。本書の読みどころのひとつに、「よど号」事件をおこした赤軍派の若林盛亮と著者とのメールの対話がある。そこで若林は当時の全共闘・新左翼運動について「どうしようもない必然性によって選んだ生き方」だったと印象的な言葉をのこしている。
最終的に個人の生き方に収斂するのだから大衆運動としては挫折するに決まっている。しかし社会ではなく生き方を問うていたからこそ、今も古びていない物語がある、ともいえる。著者が森の残像に探したのは自省的な生のモラルだったのではないか。自己の生を貫徹する価値観をもつことの意味を、それを失った世代が追い求めた物語として私は読んだ。
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