無声映画時代の知られざる豊穣さ!
「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした」。宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の冒頭。「ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました」。ベートーヴェンの『田園』を仕込み中だ。ゴーシュは何十人もの楽団の一員なのか。なぜ映画館にそれほどのオーケストラが? 無声映画の時代だったからである。生演奏で画面に合わせて伴奏していた。賢治がチェロに熱中して岩手から東京に習いに行ったのは大正最後の年の1926年。その頃の都会の映画館のありさまが『セロ弾きのゴーシュ』には反映されていよう。
無声映画の上映館には楽士がいる。台詞をやり、筋を説明する弁士もいる。映画ファンの常識に違いない。でもそこにはかなりの推移があったろう。無声映画上映の日本での始まりは日清戦争の終わった翌々年の1897年。ではトーキー映画はというと、世界大恐慌の始まる5か月前の1929年5月に初めて米国製のそれが封切られた。その頃から、映画に付く音は、生の語りや生の演奏から、スピーカーから発せられる録音へと切り替わってゆく。ということは無声映画時代は三十数年はある。しかも明治中期から昭和初期に及ぶ。都市と文化の激変期だ。映画の長さや中身、観客の鑑賞の仕方の変化も早い。それに連れて、映画館の中の音のありようも猫の目のように移ろっていたに違いない。
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source : 文藝春秋 2024年11月号