有木宏二「ゴーガンと仏教」

文藝春秋BOOK倶楽部

片山 杜秀 評論家
エンタメ 読書 アート

なぜタヒチへ行ったのか? ゴーガン像の刷新を迫る

 画家、ポール・ゴーガンと言えばタヒチである。近代文明に限界を感じ、ポリネシアのフランス領の島に渡り、近代の失った野生の回復を求めた。よくなされる説明だ。が、何処まで本当か。ゴーガンはフランス生まれだけれど、幼年期をペルーで過ごし、少年時代には海で暮らせる海軍軍人に憧れた。遠くに行きたい人だった。絵画に打ち込みながらも本業を株式仲買に求めてパリで豊かに暮らした時期もあったが、1882年のパリ株式市場の大暴落とそれに始まる長い恐慌のせいで多くを失い、近代資本主義のシステムへの不信の念を募らせもした。南太平洋に野生の楽園を求めたのももっともかとも思える。

 しかしゴーガンの描いたポリネシアはそもそも真の楽園か。違うだろう。ゴーガンの絵も先住民の形象と色彩に純然たる野生を見いだして満足しているのではない。野生はフランス帝国主義によって傷ついている。野生ゆえに無防備で、痛みも大きい。悶え苦しみ、このままでいいのかと考え込む。ゴーガンの絵はその姿を観たままに写し取るのではない。自然主義やリアリズムではない。傷ついた魂を徹見しようとする。特にはゴーガンならではの色彩によって。深く厚く重く暗く、内へ内へと誘い込むようにし、もちろん多義的暗示にも満ち、観る者の心を思索と覚醒に誘う、あの色合いによって。先住民の傷ついた野生は、恐慌でボロボロになった画家の魂とも重なる。

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source : 文藝春秋 2024年3月号

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