明るさに満ちたシニア小説
店頭に並んだ本書を見て、「じい散歩」が帰ってきた! と胸が躍った。本書は2020年に出版された『じい散歩』の続編である。
じい、とは明石新平、92歳。ひとつ年下の妻の英子は2年半前に倒れ、以来、胃瘻をつけて車椅子生活になっている。引きこもりの長男、トランスジェンダーで彼氏と暮らす次男、借金まみれの三男、子どもたちはみな50歳を過ぎた。
90歳を超えた新平は妻の介護をしている。通いの介護士も看護師もいるが、ほとんど話せなくなった妻のめんどうを日常的にみているのは新平だ。その合間に趣味の散歩をし、おいしいものを食べ、妻の好物をみやげに買って帰って食べさせる。
新平は年齢のわりには健啖家で、洋食を好み、コミュニケーション能力も高く、女性として暮らす次男にも、その彼氏にも理解があり、突如世界を襲う新型ウイルスによるあたらしい生活にも、なんとかなじんでいく。新平を見ていると、長く生きるということは、断片的な過去が膨大に増えていくことだと実感する。幸福とは連続的な状態ではなくて、この断片にまぎれた点にすぎないのではないか、とも思う。
介護に息子の借金に、きょうだいたちの死と、心配やかなしみは新平にもつねにあるが、家族全員で母の車椅子を押して散歩するような、読んでいて泣きそうになるくらいおだやかな幸福は、点であってもけっして消えない。
しかし私は、「ふらりと好きなものを見て歩いて、終わる。人生なんてそんなもの」と言う新平をうらやましく思いながら、妻、英子に思いを馳せずにいられない。
89歳で倒れるまで、新平の浮気を疑い続ける、どこかねちっこい性格だった英子は、車椅子生活になってからはしじゅうにこにこしている、おだやかな老婦人になった。単語しか発語できないので、胸の内を明かすことはない。だから新平は、理解できなかったり、受け流してきた過去の妻の言動について、思い出しては自分なりに納得するしかない。
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source : 文藝春秋 2024年3月号