澁澤龍彥(1928〜1987)は翻訳、評論、小説とジャンルを越えて執筆を続けた。澁澤に私淑してきた四方田犬彦氏がその文学が日本にもたらしたものを考察する。
生前の澁澤さんにお逢いできなかったというのは、わたしの生涯の痛恨事である。海外に留学していて、留守中の夏休みにわずか59歳で亡くなられたのだ。もっともお手紙は一通、いただいた。手紙が到着した日のことはよく憶えている。
郵便ポストに封書を発見したわたしは、よほど感激していたのだろう。その場で開封しようとして手が震えてしまい、封筒を乱暴に引きちぎってしまった。わたしが澁澤さんの『ねむり姫』と『マルジナリア』を書評紙で論じたことへのお礼状だった。
手紙の最後には「澁澤龍彥」と署名がある。西洋美術でいうならば、大聖堂の壁面に施されたゴシック彫像の群のように、複雑な装飾が施された字面である。宛名である「四方田犬彦」という名前も記されている。「龍彥」と「犬彦」。「彦」はどちらも同じ漢字だ。だが万年筆で記されたその字体は、まったく異なっていた。
手紙全体は読みやすい、どちらかといえば金釘流の字で記されており、その延長上に「犬彦」も真面目な楷書だ。いかに自由に振舞っていてもみずからの規矩(のり)を外すことはないという、姿勢の正しさが現われている。「龍彥」は違った。「彥」の字が長く伸び、他の文字の3倍くらいになっている。どれだけ長いって、かの有名な『万葉集』の一首、「あしひきの山鳥の尾の垂り尾の……」をつい思い出してしまうくらいの長さで、独特の優雅な旋回を披露して終わっている。二つの「彦」の間には大きな隔たりがあった。
もとより澁澤さんは、年少者に教訓を垂れてわが身の権威を確認するといったことからもっとも遠い方である。だが手紙をもらって有頂天のわたしは、次のようなメッセージを読み取った。この二つの「彦」の間には、何十年にもわたり、夜を徹してなされた思索と研鑽が横たわっておるぞよ。金釘流の「彦」がタツノオトシゴのように優雅な尾をもった「彥」に到達するには、まだまだ万巻の書物を繙(ひもと)き、星澄める夜空を眺めて夢想に耽るといった歳月を重ねなければならないぞよ。その覚悟はよろしいか。
独自の遠近法
澁澤龍彥という文学者のことを人にどう説明したらいいのだろうか。
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