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齢87伝説の文士が作家人生を初告白
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宇野氏

原稿料が日本一高かった小説家

 なぜいま僕の本が売れているのか、その理由は全然わかりません。新潮社の編集者から突然、「この作品とあの作品を集めて、文庫で出版したい」と申し出があったのです。結果的に「よく売れています」と喜んでいらっしゃいました。

 意外なことに読者は女性が多いそうで、先日もファンレターが届き、不思議に思っているところです。女性からのファンレターって僕には珍しい。かつて書いていたポルノ小説の読者ではなく、この本で初めて僕の小説に触れた方が多いようです。

 この本に入っているのは重い文章の小説ばかりなのに、売れると思わなかった。どうして女性が読んでくれるのか、不思議だなあ。

 伝説の作家が、再び脚光を浴びている――。

「あたし、いけない女なんです」「課長さんたら、ひどいんです」など、独特の告白体と擬音語を多用したポルノ小説で一世を風靡した宇能鴻一郎氏(87)。

 昨年8月に発売された『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』(新潮文庫)は発売後すぐさま増刷が決まった。同書は、第46回芥川賞を受賞した「鯨神」をはじめ、ポルノ小説に転じる前の1961年から70年に書かれた6本の短編が収められている。

 昭和40年代から平成にかけて、駅売りのスポーツ紙や夕刊紙に、宇能氏の連載小説は欠かせなかった。多い時期には毎月原稿用紙で1000枚を超え、原稿料は日本一高かったという。日活がロマンポルノとして映画化するに当たり、『宇能鴻一郎の濡れて立つ』『宇能鴻一郎のむちむちぷりん』と、名を冠したことからも往時の人気ぶりがうかがえる。

 文壇での交際を好まず、メディアに出る機会はほとんどなかった伝説の作家。コラムニストの山本夏彦さんは「名のみ高く、その姿を見たものがない唯一の文士である」(『週刊新潮』92年1月2、9日号)と評している。
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最新刊『姫君を喰う話』

ポルノ界のモーツァルト

 ポルノ小説の読者は、圧倒的に中年の男性です。数年前、飛行機の中で知り合った人に、「若い頃、お世話になりました」と頭を下げられたことがありました(笑)。

 ポルノ小説を書き始めた当初は、「〇〇でございます」でした。ところが書いているうちに、だんだんくたびれてきて……。純文学出身ということもあって僕の文章は硬質で、どうしても難しくなってしまう。そこで読みやすくしようと心掛けているうちに「あたし、〇〇なんです」に辿り着いた。自然とあの文体になったわけです。

 最初は週刊誌だったかな。女性の1人語りで書き始めると、あちこちから注文が殺到しました。特にスポーツ紙や夕刊紙の読者と相性が良かったんでしょうね。連載は何本やっていたかわかりませんが、月に1000枚以上書いたのは覚えております。30代から40代の頃です。

 産みの苦しみを感じたことは全くなかった。自分で面白がって、次から次へと楽しく書いていました。新聞の連載は分量が短いですが、ポルノはヤマ場を入れやすい。登場する女性を、作品ごとに書き分ける苦労もありませんでしたね。

 親しい編集長からは、「書く舞台を選ばなきゃいかん」と怒られました。『オール讀物』や『小説新潮』といった中間小説雑誌はいいけれども、そのほかの読み物雑誌に書くのは止めろと言われた。しかし僕は、自分の書く雑誌や新聞が一流なんだと思って、構わずに書きました。

「ポルノ界のモーツァルトになりたい」と言って笑われたこともありました。モーツァルトは多作でしたが、注文された仕事を次々こなして素晴らしい作品を残しているでしょう。ポルノ小説は最も詩に近い純粋なものと考えていたし、早く書き上げる能力はモーツァルトと言われてもいいと思いますがね(笑)。

 ただし、遊び回る暇はなかった。執筆時間は特に決まっておらず、朝起きたらテープレコーダーに吹き込んで、秘書に原稿に書き起こしてもらいました。喋るように書いていたわけです。原稿料が高いといわれましたが、自分から交渉したことは一度もない。僕はどんどん改行して書くから余白も多く、一文字あたりで考えると破格だったでしょうね。

 ポルノ作家のイメージは、女性好きかもしれません。僕の場合好きというよりは、女性に好かれるほうでしょうか。ご経験が豊富なんでしょうと言われましたけど、ほとんど想像です。あんなふうに経験していたら、死んでしまう(笑)。作者の実体験だと思わせたほうが、読者は喜びます。さてどこまでが想像で、どこからが事実なのか。商売ですから、針小棒大が才能の見せ所です。

満州で培った官能と猥雑さ

 ずっと売れっ子だったわけではありませんが、45年間書き続けました。自分の顔を世間に晒したくなかったので、ほとんど写真も出さず、テレビ出演も断わっていた。それに飲み歩くこともなかったですね。銀座で幅を利かせていた作家もいましたが、面白くもなんともなかったですからね。編集者との付き合いで足を運ぶ程度でした。

 当時の出版社は、僕と川上宗薫と富島健夫の3人をセットにして売りたがりました。1人でも欠けちゃいかんというわけで、随分、書かされました。川上宗薫の小説は、掲載した雑誌の編集長が警察に呼ばれて怒られたらしいです。当時はまだ、わいせつに厳しい時代ですから。僕の場合は「あっ……」「ソファに座ると突然専務さんたら……」と「……」が多くて、具体的に書いてない(笑)。一度も警察に呼ばれたことはありません。だからあんまりエッチじゃなかったんですよ、僕のは。

 1934(昭和9)年、北海道札幌市に生まれた宇能氏は満州で育った。終戦で引き揚げ、福岡県で暮らす。芥川賞を受賞したのは、東大文学部国文学科を卒業して大学院に在学中、27歳のときだった。受賞作「鯨神」は、明治初期の九州平戸を舞台に、鯨獲りの若者が祖父、父、兄を殺した大鯨に復讐を挑む土着の物語だった。

 芥川賞の選評で、選考委員の丹羽文雄氏は〈宇能君はどんな風になっていくのか、私達とあんまり縁のないところへとび出していくような気がする〉と将来を予測し、舟橋聖一氏も〈この人の将来は、興味深い未知数である〉と書いた。

 その予想通り、宇能氏は、官能のほか、食味随筆や旅行記、「嵯峨島昭」のペンネームによるミステリーへと、フィールドを広げていった。

 性、食、暴力には官能的という共通点がある。「姫君を喰う話」の冒頭、タンを女性の舌に譬えた描写が官能的だと言われました。女性はイヤらしいと思うかもしれないけれど、僕にとっては自然です。

 私の官能や猥雑さが培われたのは、やはり満州の奉天で過ごした少年時代でしょうね。生鮮市場から捌いたばかりの肉や臓物の、そして街中にはアヘンの濃厚で甘ったるい匂いが漂っていた。

 小学校5年生か6年生のとき、親父に家から追い出されて、しばらくヘビやカエルを食べながら暮らしたことがあります。「草を刈ってこい」と言われたのに刈らなかったら、「家に入るな」と言われましてね。食料は配給制でしたから、1人分でも食い扶持が惜しかったんでしょう。

 終戦から間もない頃、泥棒して捕まって、ソ連軍の司令官の家へ連れて行かれたこともあります。奉天市長の公邸のそばでした。「今晩パーティーをやるから、給仕をしろ」と言われて、司令官夫人に風呂場で裸にされて身体を洗われました。着ていた服はぼろぼろでしたから、腰にタオルを巻いただけで給仕をさせられました。そのうち素裸にされて……。その司令官は、のちにスターリンに殺されたらしい。この話、半分は本当で、半分はまぁ小説です(笑)。

 福岡へ引き揚げて来て、1年遅れで学校に通いました。文学を志したきっかけですか。父親が小説好きで、『改造』という雑誌が家にあったのを読んで「俺も」と思った記憶はあります。

 修猷館高校時代に大量の本を読みました。岩波文庫の古本で、文字量の多いものから手に取っていましたが、失敗でしたね。あれで文章が難しくなった。いや、「あたし」が発明できてよかった(笑)。

芥川賞で結婚できた

 東大では、原始古代日本文化を研究しました。僕がやっていたのは記紀歌謡と言いまして、古事記と日本書紀に入っている歌です。小説は、大学院生の頃から同人誌で書き始めました。最初の同人誌では、北杜夫さんや佐藤愛子さん、川上宗薫が仲間でした。しかし好きなように書かせてくれなかったので、新しく『螺旋』という同人誌を作りました。ある建設会社会長のお妾さんが、資金を援助してくれたのです。

 その創刊号に書いた「光りの飢え」という作品が芥川賞の候補になって、その次の回で受賞となった。芥川賞をもらって、「書く仕事で食べていけるかな」という感触がありましたね。当時、結婚を前提に家内と付き合っていたのですが、家内の親には反対されていた。芥川賞は、結婚を納得してもらう格好の材料になったわけです。

川上さん
 
川上宗薫

 家内とは、東大のダンスパーティーで知り合いました。当時、男女の出会いはそのくらいしかなかった。芥川賞の授賞パーティーには教授と助教授を招いて、親族は妹だけでしたけど、友人も呼んで、結婚披露宴を勝手に兼ねました。好き勝手やらせていただいた文春には感謝していますよ(笑)。

 その後は編集者の要望に応じるまま、自然に書いていたらこうなりました。書き手の一方的な思いだけで書いても面白くないし、純文学だと言われても、何が純文学なのか僕にはよくわかりません。

 元々、暴力的な小説が好きです。ところがバイオレンスには大藪春彦さんなどの書き手がいましたし、編集者は売れる本を作りたい気持ちが強いから、ポルノを書くよう言ってきたのでしょう。

 しかしポルノというのはとても純粋だから、純文学に近いところがあります。たとえば、推理小説は荒唐無稽です。いわゆるミステリー作家の書くミステリーって、インチキでしょ? 自分で火をつけて自分で消すような、不自然な話が多い。

 僕もミステリーを書きましたけど、後半に少しその要素が入っているだけで、ほとんど旅行記のようなものでした。ミステリーには、大衆に受けるための正義感が必要です。僕は正義感というものをまったく信用していませんから、ミステリーらしく書けない。

 正義感で言うと、60年安保のときはデモに行こうと誘われたり、作家仲間からベ平連に入れと誘われたりしましたけど、断り続けました。

 ポルノの場合はある程度、性の実現をテーマにすれば書ける。男性側から見れば、女性と事をいたすまでに手間がかかる。まず、相手の女性を探すのに1日かかる。口説くのに1日かかり、逃げるのに1日かかる。この3日間の経緯が小説になる。

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source : 文藝春秋 2022年3月号

genre : エンタメ 読書 芥川賞