モーロ事件と枢軸国

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 あの事件のことは想い出したくない。できれば忘れてしまいたい。みんな、本当は後ろめたい気持ちでいっぱいなのだ。

 歴史を振り返ってみたとき、どの国にも人をこのような気持ちにさせる事件が、かならず存在している。国民全体が後悔を共有し、しかも口を噤(つぐ)んでいるという事件が。日本のことはあえていうまい。わたしが今、話しておきたいのは、1978年にイタリアで起こった、モーロ元首相殺害事件のことだ。

 この年、イタリア社会は疲弊の極致にあった。マフィアは跳梁し、爆弾テロが横行。労働運動は拗(こじ)れ、経済的にも政治的にもさまざまな困難が押し寄せていた。キリスト教民主党の党首であり、長きにわたり首相を務めてきたモーロは、思い切った提案をした。なんとか共産党といっしょに連立内閣を組織し、挙(こぞ)って国難に立ち向かおうではないか。この提案は大胆過ぎて与党内でも反対があったが、モーロは根気強く周囲を説得。ついに実現に漕ぎつけた。ところが内閣が信任される日の朝、彼は「赤い旅団」という極左集団に誘拐されてしまったのである。

赤い旅団に誘拐されたアルド・モーロ元首相 Ⓒ時事通信社

 イタリア全土に強い衝撃が走った。時の教皇は多額の身代金を準備し、モーロの救出を求めた。警察は占い師まで動員して捜査を続けた。もっとも与党内には党首モーロを敬遠する向きもあり、政府は犯人との直接交渉に消極的な姿勢を見せた。交渉は進展せず、結局、モーロは55日にわたって監禁された後、「処刑」された。国葬が行われたが、遺族は全員が参列を拒み、モーロを見捨てた政府与党に対し抗議した。教皇は疲弊のあまり、3か月後に逝去した。事件はひどく後味の悪い終わり方をし、イタリア社会全体に深い悔恨の傷を残した。

 この事件をめぐって、半世紀近くにわたり拘泥してきた人物が2人いる。現代イタリアを代表する映画監督マルコ・ベロッキオと、俳優のファブリッツィオ・ジフーニである。

 ベロッキオは以前にも、赤い旅団側の女性メンバーの眼を通して、この事件を映画にしている。ジフーニはモーロの遺した手紙をもとに脚本を執筆し、自作自演で舞台に立ってきた。2人はそれでも満足がいかない。このままでは記憶が風化してしまう。彼らは決意して、『夜の外側』というフィルムを監督・主演した。イタリアを歴史の傷から回復させるためには、それが必要だったのだ。

 今年8月に日本でも公開された『夜の外側』は6部仕立て、6時間の大作である。それぞれのパートは、内相、教皇、旅団の女性メンバー、モーロ夫人といった風に、異なった視点から撮られている。歴史のなかに生きる者は、歴史から受けた債務をきちんと返済しなければいけない。これがイタリアの芸術家の信念である。

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source : 文藝春秋 2024年10月号

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