50歳で脱サラしたあとずっと翻訳をやってきた自分が、初めて書いた本『異邦人のロンドン』(集英社インターナショナル)で日本エッセイスト・クラブ賞を頂いた。ありがたいような、申しわけないような気分で、授賞式にのぞむべくヒースロー空港から羽田行きに乗った。
ウクライナ戦争勃発以降飛行機がロシア上空を飛べなくなり、はるか南方のゴビ砂漠の上を飛ぶので前より時間がかかる。時差ボケもその分ひどい。午前中の到着が早すぎて、ホテルにチェックインはできない。することもなく、ふらふらした頭で書店へ向かい、自分の本と対面しようとする。新米の著者なら誰でもやる隠密行動ではなかろうか。エゴサーチの三次元バージョンとも言える。
ところがどこにもない。そうか売り切れてしまったか、とポジティブにとらえる楽天性に欠ける僕は、店頭検索機でこそこそとわが受賞作を探した(自分の名前をインプットするのは案外恥ずかしい)。驚いたことに「台湾・香港関連」の棚にあると出た。階段をかけのぼって確認しに行ったら確かにあった。別の書店へ行ってみたが状況は同じ。そこでも検索してみると今度は「地域研究・欧州」の棚にあった。だいたい、酒好きのおばあさんに頼りにされた話だとか、ロンドンの寿司屋の比較が、なぜ地域研究なのか、台湾関連なのか?
と、鼻息を荒くしたところで学生時代の記憶がよみがえる。大学近くの本屋が、ダンテの『神曲』を音楽書のコーナーに分類していたのを見つけて小馬鹿にした驕慢(きょうまん)。あれ以降、書店の精霊とでもいったものが都下の書店をさすらい、半世紀後に宿怨を晴らしにきたか。しかし、ダンテですら誤分類されたのだ。ここはがまんと、半世紀を越えてやっと文庫化されたことを記念して積み上げられたガルシア゠マルケスの『百年の孤独』の小山を尻目に、蒸し暑い通りに出た。奇想にとりつかれたのは、時差ボケに加えて久しぶりの高温多湿のせいでもあったろう。
授賞式では、翻訳業を十数年続けたあとエッセイに手を染めた動機について語った。しかし、大勢の前で話すという慣れない場ではうまく言えないような気がして触れなかった点がある。
僕が翻訳を仕事にしていると言うと、イギリス人たちはそれを日本語から英語への翻訳だと思うらしい。もちろん一般化はできない。そう臆断する傾向のイギリス人がたまたま周囲に多かっただけなのかもしれない。英語国民には、自分たちの母語がマイナーな言語に訳される可能性よりも、世界のあらゆる情報はリンガ・フランカたる英語に訳されてしかるべし、という言語帝国主義的な潜在意識があるからかと考えたりもした。ともかくそんなときには、僕のは逆方向で英語を日本語にする翻訳だと誤解を正す。するとある人が真顔で心配してくれた。
「こんなに長くイギリスに住んでいて、日本語を書く力が衰えることはないの?」
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