「大きくなったらなにになりたい?」という質問に対して、「夢の職業」を答えられない子だった。とくに夢中になるものもなく、習い事はなにひとつ長続きしなかった。でも、本を読んでいると大人は構いつけてこないので、本を盾のようにして目の前に立てていた。母が邦楽家で和風の家だったことに反発したのだろう、海外文学ばかり読んでいた。
長じて新訳することになるエミリー・ブロンテの『嵐が丘』に出会ったのも、外国文学のなかだ。ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』(新潮文庫)の主人公が大のお気に入りだというので、学校の図書館で借りてきた。これがのちにわたしの人生を変えることになった。
もう一つの“転機”は語学との偶然の出会いだ。小学校4年生のとき、近所の友だちから、英語教室に行かされることになったので一緒に来てと頼まれ、暇だから付いていった。
その女の先生は、子どもっぽいゲームなどさせず、すぐに英文を読ませた。そこで出会ったのが、チャールズ・M・シュルツ作、谷川俊太郎訳の『ピーナツ・ブックス』(ツル・コミック、絶版)だ。Good grief…という嘆息のフレーズを、谷川氏は「やれやれ」と訳していた。だから、今でもわたしにとって「やれやれ」といえば、村上春樹ではなくチャーリー・ブラウンなのである。わたしはこのシリーズで英語と翻訳術を“独学”した。これがなければ、翻訳家にはなっていなかっただろう。
中学校では、小説や詩を書く地味そうな部活に入った。相変わらず海外文学ばかり読んでいたが、15歳の夏に出会った「初めての日本文学」が、安部公房だった。
部活顧問に課題図書として読まされたのだが、とくに衝撃的だったのは『箱男』(新潮文庫)だ。それまでのわたしの文学観が西洋の正統的な文学に準拠する読書の愉しみであったとするなら、『箱男』がもたらしたのは「文学の毒」ともいうべきものだった。箱を被って暮らす匿名の男という主人公の設定に瞠目し、人間という存在の不可解さを突きつけられるような気がした。小説にはこんなことができるのかと衝撃を受けた。15歳という多感な時期に『箱男』を初読していなければ、おそらく物書きになっていなかった。
ジェイムズ・ジョイスという巨人
いよいよわたしが翻訳家を目指すようになるのが、19歳の冬。やりたいことがさっぱり定まらない思春期を過ごしたが、あるときある写真週刊誌の折り込みに翻訳学校の広告を見つけた。「翻訳家というのは学校に行ったらなれるのか!?」という驚きと、「だったら、なろう」というなんの根拠もない決意が湧いてくるのと同時だった。あんな無茶な決心をしたのは、後にも先にも一度きりだ。おそらく、「海外文学を読むのが好き、英語がまあまあ得意、書くのも苦ではない」という、わたしの中のなけなしの3つの資質が初めて一つになったのだろう。
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source : 文藝春秋 2023年5月号