心に刻む安岡正篤先生の戒め

林 芳正 前外務大臣
エンタメ 読書

 長く読み継がれてきた名著は、読む者を映す鏡のようなものです。何度その本を開いても、当然、書いてあることは同じ。しかし、自分の知識が増え、経験を積み重ねると、それまでとは違った読み方ができるようになる。自分の変化を感じることができるのです。

林芳正氏 ©文藝春秋

 私は、中国古典を中心に100の人生訓を集めた安岡正篤著『百朝集』(致知出版社)をいつも手元に置き、折に触れて読み返しています。安岡先生は、私が所属する「宏池会」の名付け親でもあり、昔の経済界や政界のリーダーたちは、みんな教養として安岡先生の本を読んでいた。私は、国会議員になりたての頃に誘われた勉強会で、この本に出会いました。

 同書で紹介されているのは、さまざまなシチュエーションにおいて有用な名言ばかりですが、なかでも私がよく思い出すのは「得意澹然」という言葉。「澹」は、あっさりとした謙虚な気持ちを表します。落ち込んだときにもゆったりと構えよ、という意味の「失意泰然」の逆で、うまくいっているときにも調子に乗るな、ということでしょう。政治家は勝負ごとも多いですが、たとえそれに勝っても前のめりにならないように、大切な戒めとして心に刻み込んでいます。

 安岡先生ご自身の教え「六中観」のひとつ、「壺中天あり」も身に染みる言葉です。小さい壺の中にも広い空がある。転じて、心に自分だけの世界を持つことの大事さを説いています。仕事などに追われて大変なときでも、精神を落ち着けるための場所を確保しておきなさい、と。読書や音楽、スポーツなど、自分が寛げるものであれば何でも構いません。私の場合、ギターやピアノを二、三十分だけでも演奏することで、良い気分転換になっています。

 中国唐代の皇帝・太宗と名臣たちとの政治問答集『貞観政要』(ちくま学芸文庫)も、「まつりごと」に関する箴言が詰まった東洋の古典で、繰り返し読んでいる本です。

 太宗は、自分に対して批判的な意見を述べる「諫議大夫」という役職を置きました。魏徴という諫議大夫の言うことに耳を傾けながら、国をうまく統治していたのです。しかし晩年、太宗は魏徴が反対したにもかかわらず、朝鮮半島に出兵し、失敗に終わります。彼ほどのリーダーシップがあっても、人の意見に耳を傾けなかったがために、悪い結果になることがある。唐の時代から1000年以上が経った今でも、物質的には非常に豊かになり、科学技術も進歩していますが、そういった人間の本性は変わっていません。驕りは身を亡ぼす。そのことを思い知らされます。

 実は、大学生の頃に初めて『貞観政要』を手に取ったとき、そこに何が書かれてあるのか、腑に落ちていませんでした。政治家として地道に活動を続け、人を動かす立場になって初めて、身に染み入るように理解できてきた。まさに、私を映し出す鏡のような本です。自分が晩年の太宗のようになっていないか、普段から省みるようにしています。

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source : 文藝春秋 2023年5月号

genre : エンタメ 読書