「マコンド」という名の共同体が建設されてから消滅するまでを語るこの年代記が世界の読者を魅了し続けている。日本では長らく待ち望まれていた新潮文庫版がついに出て、刊行前から重版が掛かるという驚異的現象を生んでいる。その人気の秘密は、物語が人生のあらゆる相を含み、いつ読んでも新鮮に感じられるところにある。
ラテンアメリカの小説は、若手の作家たちが競うようにして新世代にふさわしい文体を求めた1960年代に、世界的ブームを生んだ。その中でも白眉をなすのが、強烈な生と死と愛に彩られた、ガブリエル・ガルシア゠マルケスの長編小説『百年の孤独』である。雑誌に部分掲載されたときから話題となり、ブエノスアイレスで発売されるやベストセラーとなった。リアリズムでありながら幻想的味わいのある稀にみる作品で、知的でもあり民衆的でもある文体は、作者が所属するカリブ海文化圏特有の猥雑さとユーモアに満ちている。次々に繰り出される短いが途方もないエピソードに読者はのめり込んでしまうのだ。
その遠近法は西欧近代の目には現実を歪めるものだが、重心は常にラテンアメリカの民衆の側に置かれており、彼らにとってはごく自然なのだ。外部の読者もその遠近法をいつの間にか共有してしまう。魔術的リアリズムと呼ばれるのはそのためだ。
登場人物は欠点を備えているがゆえに魅力的な個性の持ち主である。誇張された歴史は神話性を帯び、「そんなバカな」などと思っていると新しいエピソードが始まってしまうから、読者は本から目が離せない。しかも語り手の声を聞く快楽を味わわせてくれる口承文化が根底にある。その魅力は邦訳からも十分伝わってくる。それは訳者自身が面白がっているからだろう。作者と読者の共犯関係を訳者は演出しているのだ。
コロンビアのカリブ海沿岸地方に住むホセ・アルカディオ・ブエンディアは、闘鶏の賭けで負かした相手の捨てゼリフに「名誉」を傷つけられたとして、相手を殺してしまう。すると殺された相手は幽霊となって彼とその妻ウルスラにつきまとう。そこで彼らはその土地を離れ、新天地を求めて旅に出る。
ウルスラはやがてホセ・アルカディオとの近親婚の子どもを産む。夢のお告げにより、この若き族長は辺鄙な土地にマコンドという村を建設する。これが伏線だ。つまりここでマコンドとブエンディアの一族に、近親婚というタブーを犯したことによる呪いがかかるのである。果たして読者がこの伏線を覚えていられるか否か定かではないが、最後にこの伏線は回収される。
冒頭から幽霊、夢のお告げなど、非科学的な要素が相次ぐが、ガルシア゠マルケスは迷信や予知夢のような文明からは除外されてしまう要素を退けない。彼はそれらを疑似科学と呼び、民衆にとっては科学に引けを取らない力をもっているとする。しかもこの小説がどこか懐かしさを感じさせるのは、旧約聖書やさまざまな創世神話、あるいは民話を思わす語り口に読者が反応するからではないだろうか。そしていかなる文化もいつか経験してきたはずの、外部との接触による近代化の歴史もユーモラスに語られている。ここではロマの一団が文化運搬者の役を務める。そのリーダーが共同体の命運にとって重要な役割を演じることになる。
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