「真空飛び膝蹴り」で一世を風靡した沢村忠(1943〜2021)は後年の「K-1」など、格闘技ブームの先駆けとなる存在だ。キックボクシングを世に知らしめた男の光と影に、『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修 評伝』をものした細田昌志氏が迫る。
放送作家の高田文夫は、日本大学藝術学部、通称「日芸」に入学したばかりの1967(昭和42)年春、江古田キャンパスの中庭で、吊るしたサンドバッグを一心不乱に蹴る先輩学生を目撃している。「バシーン、バシーン」というけたたましい音が気にならないはずがなく「へえ、日芸には空手家がいるのか」という驚きとともに18歳の脳裏にその姿は深く刻まれた。
その「空手家」こそ数年後、「真空飛び膝蹴り」で日本中に大ブームを巻き起こすキックボクサー・沢村忠である。日本の格闘史に名を残す彼も、数多の俳優、脚本家、映画監督を輩出する日芸の出身だった。
1943(昭和18)年生まれ、本名・白羽秀樹。石原裕次郎に憧れ、中学3年生のとき新東宝ニューフェイスに合格。晴れて映画俳優となるも鳴かず飛ばず、新東宝が倒産し、大映に移籍したタイミングで「脚本を学ぼう」と日芸の門を叩いたのだ。
奇しくもその前後、気鋭のボクシングプロモーターである野口修がタイの国技・ムエタイを日本風にアレンジしてキックボクシングを立ち上げた。当初は大山倍達の率いる極真カラテの協力を仰ぎながら運営するつもりが、折り合いがつかず決裂。跳躍力と表現力に目を付けた野口は、俳優にして日芸学生である白羽秀樹を急造エースに指名。極真の実力者・中村忠にあやかって「沢村忠」と命名する。ここから、日本の打撃系格闘技の歴史は始まった。
初興行から2年後、1968年9月からTBSでレギュラー中継が始まると、物珍しさもあって視聴率は上昇、エースである沢村忠が真空飛び膝蹴りで対戦相手をバタバタとなぎ倒すと、人気は爆発。梶原一騎原作のアニメ『キックの鬼』まで同時進行で始まるなど、空前のキックブームを巻き起こすのである。
キックのテレビ中継の視聴率は毎週20%を超え、沢村忠は少年誌の表紙を飾り、映画やドラマに出演するなど時代の寵児となった。俳優志望だった沢村忠にとって願ってもない展開だったはずだが、次第にこんな声が聞かれるようになる。
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