力道山亡きあと日本のプロレス人気を牽引し、がんで死去する前の月までリングに上がり続けたジャイアント馬場(1938〜1999)。平成を代表するプロレスラーだった小橋建太氏は、馬場に憧れて育ち、全日本プロレス入門後は付き人を務めた。
母子家庭で育った僕は、テレビのプロレス中継で見ていた強くて大きな馬場さんに、父親像を勝手に重ねていました。昭和62(1987)年に入門して4か月後、馬場さんの付き人に指名されました。ところが馬場さんは、お気に入りだった前の付き人を交代させられたことが、不満だったようです。
「今日から付き人をさせていただきます。よろしくお願いします」
「俺は認めん。出て行け」
いきなり追い返され、その日から4か月、まったく口を利いてくれません。辛かったですが、「クビだと言われたら仕方がない。自分がやれる仕事を一生懸命やろう」と決めたら、逆に吹っ切れました。
翌年2月にデビューできたとき、
「デビューしました。ありがとうございます」
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source : 文藝春秋 2025年1月号