人間の生についての概念を広げ、変容を共有する存在
私の知人に、自他ともに認める「マツタケ穫りの名人」がいる。以前、こう言っていたのが忘れられない。
「山中のどこでマツタケが穫れるのか、親きょうだいでも教えない」
彼にとって、マツタケとの関係は秘事そのもの。所有権や収入源の主張を超えた蠱惑(こわく)的な関係を感じる。
本書は、アメリカの文化人類学者によるいっぷう変わった人類学研究の書物で、2016年度の米国文化人類学会賞ほか数々の賞を受けている。きのこは、植物でも動物でもなく、中間性を具現化する菌類。そもそも文学ときのこの親和性は古今東西の文学作品がしきりに語っているけれど、では、文化人類学の泰斗はマツタケをつうじて人間や社会の何を見出すのか、がぜん興味をそそられる。
「森という境界のない空間と多様性に富んだ生態系」、つまり曖昧な境界に生きるマツタケを「共生存の可能性」として捉える。著者が前提とするのは、わたしたちが生きる社会は地球規模の不確実のなかにあり、しかし、不均質な時間や空間はさまざまなアッセンブリッジ(寄り集まり)にたいして開かれているという現実だ。資本主義の破綻を背景にした、流動的で、不安定で、不確実な社会。いっぽうマツタケは、森林伐採や環境の変動をもろに受けながらも、いぜん独自の芳香を放ち、社会をうるおすグローバルで刺激的な存在であり続けている。著者にとって、マツタケとは、人間の生についての概念を広げ、「変容を共有」する存在だ。
長期にわたって共同研究者たちとともにおこなわれたフィールドワークは、マツタケをめぐる冒険譚さながら。日本では京都や中部地方、アメリカではオレゴン州、中国の雲南地方……各地で見聞きする採取のようす、売買の仕組み、流通経路や貿易の実態など、マツタケという価値を人間がどのように利用し、増幅させてきたか、つぶさに見出してゆく。そもそも、土地に潜在する菌糸がむっくりと身を起こして現れたマツタケが、共有され、有用な資源として経済活動をうながしてきたこと自体、どこかユーモラスでマジカルだ。
著者の知見と観察眼は、マツタケが内包するレイヤーを抽出し、ことこまかに腑分けする。オレゴン州では、モン人によるマツタケ狩りに影を落とす侵略や戦争、東南アジアの難民の歴史、アジア系アメリカ人の生きかた。あるいは、フィンランドの森林に潜む物語のありか、日本の里山再生運動による社会性の回復……著者自身が、それこそ「飛びまわる胞子」となって空間と時間軸を移動、諸相を繋ぎ合わせる手つきには人間中心の目線があり、従来の資本主義社会にたいする疑義がある。
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source : 文藝春秋 2019年11月号