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プロジェクトとは、経営者の人格そのものだと思います

 先日も、なぜか「どうしても新たに建設したサポートセンターの開場式に同席してほしい」というので厳しい介護日程をやりくりして訪問してみたら、テープカット後にすべてのパソコンが立ち上がり華々しく営業開始セレモニーを行うはずが、全部の電源を入れた瞬間ブレーカーが落ちたらしく集まった来賓を照らす電気ごと落ちて真っ暗になるとかいう壮大な自爆ギャグを引き起こしていました。そこで想定外のハプニングだと笑って場を和ませれば器の大きさぐらいは示せるのに、部下呼びつけて叱り飛ばす経営者の醜態を見せられると「ああ。この人の下についていったら、不都合なことが起きるたびに叱責されて嫌な思いをするのだな」という未来予想図だけが突き付けられることになるのです。

 翻って、プロジェクトというのは会社の社風、ひいては経営者の人格そのものだと思います。スピード命でタイミングよく事業展開を進めたいと考える経営者が、何を犠牲にして前に進もうとするのかがハッキリ分かるのが新規プロジェクトなのです。先進性を謳うはずの経営者が型落ちのパソコンに古いOSを入れて技術者をこき使っていたり、曖昧な指示を出して思ったような成果が上がらないと部下の責任にしたりする事例が後を絶たないのは、万能ではない人間が不得手なことをどのように他人に任せるのかという非常に根本的なところにみなウィークポイントを抱えているからに外なりません。

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「自分は無知である」という謙虚さを欠くから起こる炎上

 そして、頭のいいはずの人たちの組織が、往々にして頭の悪い決定を下すのも、知らないこと、分からないことに対して「自分は無知である」という謙虚さを欠くからなのだろうと思うのですよ。大胆に意志決定を行うことがカッコいいと思い込んだり、ピカピカの経歴の持ち主の営業トークに乗せられてデカいことをやってしまうのは、単なる頭の良し悪しではなく迂闊さ、隙を示していると思います。経営者はイエスマンに囲まれがちで、太鼓持ちが茶坊主選手権をしている状況で合理的な判断を下すためには、やはりアンテナを高くし、平常心で物事を見ていくしかないのではないかと感じます。

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 炎上プロジェクトというのは、不幸にして燃えてしまったというよりは、みんなどこかしら危ねぇ危ねぇと思っていて、あー、ヤベえこりゃ燃えるぞ、となって、結果としてやっぱり燃えました、あーあ、ということがとても多いのです。無謀な計画、はっきりしない仕様、誰が責任を取るのか決まっていない組織、飽きっぽい経営者……。いずれもその組織の特徴を表すということも含めて、皆様の年末がキャンプファイヤーによって慌ただしいこととならぬよう心よりお祈り申し上げております。