「私が見ていたのは、スカイツリーなんです」
――『Enough is Enough』では「恵比寿」の街が登場して、さらに東京タワーが出てきた。
古内 東京タワーではなくて、あれはスカイツリーなんですね。私が見ていたのは。
――えっ、そうだったんですか。
古内 そうなんです。タワーって言ってるんですけど。先に上がっていたサウンド聴きながらホテルのラウンジとか行った時に見えたのがスカイツリーで。それで半分上が見えなくて曇っててというところから、『Enough is Enough』を書いたんです。
――恵比寿だったら近いのは東京タワーだし、まさかスカイツリーだとは……。
古内 物理的にそうですよねえ(笑)。でもスカイツリーって、6年前に見た景色との違いでもあって。スカイツリーって色んなとこから見えて、高速道路から見えるスカイツリーって東京タワーに比べたら、なんかヒール(悪役)っぽいじゃないですか。『Enough is Enough』の歌詞で、これから雨降るのかよっていうのがスカイツリーな感じです。
――古内さんの曲には、よく東京が出てきてますけど、かつても実際にそこに行って書くみたいなことは?
古内 いや、なかったですね。ほんとに家だったり、車を運転している時だったり、どうってことない時に書いていたんですけど。今回はブランクがあったから、歌詞ってどうやって書くんだっけ、みたいな。なのでその場所に自分を持っていく感じで作ってみた。そしたらすごく進んだので。1曲のつもりが2、3曲みたいな。
シティポップスを「最近ウィキったんですよ」
――青山も数寄屋橋も出てきますよね。こういう都市の描き方、音のアレンジも含め、極上のシティポップスっていう声も上がっています。そういう意識ってありました?
古内 曲がまだない状態からミーティングを始めて、ちょっとずつデモテープを作っていたぐらいのときに、これはAORだねって話にはなったんです。それでなんとなく私も、あそっか、AORだなって、アレンジャーさんにどの曲をお願いしようかとか、ジャケット、イラストをどうするという順番で話が進んでいったんです。だからAORがキーワードではあったんですけど、アルバム出来てから、シティポップスだってことを言われて「シティポップスって何だ?」って思ったんですね、そこで初めて。
――意識としてはAORはあったんですね。けどシティポップスということについては、クエスチョンマークだった。
古内 はい。知らなかったというか。昔ニューミュージックってあったじゃないですか。それは一番最初の事務所の社長さんに、「古内はニューミュージックだね」って言われたんですね。それで、そうか、ニューミュージックに入るのかなって思ってたんですけど。そのうちそういう言葉もなくなったじゃないですか。これまで「君はシティポップスだね」って言われたことないんですよね。どこの時点で出てきた言葉かわからないですけど。それで最近ウィキったんですよ。
――ウィキペディアのシティポップスの定義を見たんですね。
古内 そしたら大貫妙子さんとか、EPOさんとか、もちろんすごく好きなんですけど。それがひとつのジャンルなのかと言われると、ちょっとわからない、そこに達郎さんが入るんですか?
――シティポップスのキーパーソンの1人ですよね。
古内 AORとの境目がよくわからないところがある。あと日本の言葉ですよね、シティポップス。
――日本の70年代、80年代の一部の音楽を再評価する言葉として使われていると理解してます。大貫妙子のレコードを探しに来る外国人がいるとか、竹内まりやの『プラスティック・ラブ』のユーチューブの再生回数が数万回になっているとか。
古内 この間ラジオのディレクターさんに、『Enough is Enough』が1曲目で、「どうして1曲目をシティポップスものにしたんですか」って言われたんですね。それでよくわからなくなった部分があって。『Enough is Enough』はシティポップスとして、他のは違うの?っていう疑問が。その境目がわからないんですよ。シティポップスは『Enough is Enough』だけなんですか?
――シティポップスは、昔の音楽の再評価と、それに影響を受けて今の音楽として新しく生まれているものとがあるんですけど、僕は、90年代の古内東子は、当時はその言葉がなくとも実質的なシティポップスとして受け止めてました。『Enough is Enough』のアレンジャーで流線型のクニモンド滝口さんが起用されたことで特段クローズアップされている部分はあるでしょうけど。ただ、作り手はそのことを意識してないということなんですかね。
古内 さっきのディレクターの方も、私がクニモンドさん=シティポップスと分かってお願いしていると思われたのかもしれないですね。なるほど今理解しました(笑)。