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京急しか満足できない体になっていたのです

 私は京急が嫌いでした。嫌いというか苦手でした。想像してください、それまで牧歌の極みトレイン南武線しか知らなかった人間が、突然突きつけられた京急通学という厳しい現実。それはもう、毎日土屋圭市の助手席に乗せられるようなものでした。なぜこんなに飛ばすのか、全く意味がわからなかった。京急は線路の幅が新幹線と同じで〜とかはずっと後に知ったことですが、当時はダイナミックに揺れる電車に乗るたびに、酔い、そして運転席にいるであろう土屋圭市を呪いました。来る日も来る日も赤い電車は、六本木を求めさまよう外国人と、潮の匂いプンプンの釣り人と、顔面蒼白の私を乗せ、ケツ振りながらカーブを爆走する。私は土屋圭市を呪いました。

東京ー神奈川を猛スピードで駆け抜ける ©鼠入昌史

 しかし慣れとは恐ろしいもので、程なくしてもう京急しか満足できない体になっていたのです。JRに乗れば「タラタラ走りやがって休日カローラかよ」と毒づき、「は〜〜金沢文庫の連結くそエロ」とか思う女になってしまいました。京急への爛れた愛情が、その独特の駅名にぶつけられるまで、そう時間はかかりませんでした。

「抱かれたい京急駅名ランキング」で思いを成仏

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「抱かれたい京急駅名ランキング」というコラムを書いたのは、今から5年前。精神を病んだ少年少女が一度は通る雑誌『Quick Japan』(太田出版)のコラムページを担当していた私は、誰も読んでいないのをいいことに学生当時京急に抱いていた不埒な思いをそこで成仏させました。ご丁寧に、駅名にキャッチコピーをつけ、イメージ俳優まであてこんで。1位は「鮫洲駅」と書いてありますね。「頬に古傷、同じ女は2度抱かない」「雑居ビルの一室が事務所兼自宅、天井にはシーリングファン」、イメージは宍戸錠。2位は逸見駅で、「『いつみ』ではなく『へみ』と読ませるところにサブカル女が熱狂する」「あえて古民家に住み、あえて携帯は持たない、あえて梅酒を漬ける」、イメージは西島秀俊。ちなみにYRP野比は堂々の6位にランクインで「ハーフかと思いきや生粋の日本人でペッコリ45度、イメージはずん飯尾」。焚書坑儒の際はこの号を真っ先に燃やし私を地中に埋めてください。