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フェイクニュ-スを見極める力をつける方法

――ここからはメディアリテラシーにかんする質問です。「怪しい情報が溢れる今、正しい情報か否かを見極める力を養うために、おすすめの方法があれば教えてください」。

楠木 昔と比べると情報の流通のコストが著しく下がっているので、人間が触れる情報の量は自然と飛躍的に増えました。一方で、人間の脳の処理能力というのは、ここ何千年も全く変わっていないので、当然1つ1つの情報に注がれる注意の量は減るわけです。現実的にできることは2つあります。

 1つは、入ってくる情報の量を意識して減らすこと。もしかしたら良い情報を遮断してしまうかもしれないけれど、四の五の言わず「情報量を減らす」。それが、情報に対する注意量を強制的に回復する1つの方法です。それからもう1つは、信頼できる「情報の推薦者」を持つこと。たとえば、本でいえば書評家ですね。信頼できる書評家をひとつ持っていると、ものすごく良いスクリーニング装置になる。Amazonのレビューなんて全く意味がありません。あれは、何の責任もない匿名の素人がその時の気分で書いたものですから。やはり新聞の書評とか、自分の名前を出してプロとしてやっている読み手の中から、「この人の推薦する本はいいよな」と思える人を見つけることです。僕の場合は、フランス文学者の鹿島茂さんの書評を参考にしています。鹿島さんは、お亡くなりになった方も含めてプロの書いた書評を全部アーカイブ化して見られるようにしていこうと、「ALL REVIEWS」というサイトを始められました。本選びについていえば、このサイトは非常に価値があると思います。

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©山元茂樹/文藝春秋

母親からの質問「小さな子どもがいろんな情報に触れること」

――お子さんのいる女性からはこんなご質問も。「未成年とか小さい子どももいろんな情報に触れることができる世の中になってきました。これは自分の子どもには触れてほしくないなと思う情報がある一方で、好き嫌いを押し付けるのも良くないという思いもあります。先生は、子どもたちがいろんな情報に触れることについてどうお考えでしょうか」。

楠木 僕はかなり自由にやらせるほうです。というのは、今みたいにスマホやパソコンがあると、どんなにこちらが抑制しても情報に触れちゃいますよね。抑制や規制という考え方がそもそも有効じゃないのかなと思っています。ですから、「こういうものにはあまり触れないほうがいいんじゃないの?」と思った時には、理由を説明するようにします。僕はかなりいい加減な性格ですけど、子育てにおいて「自分のことを棚に上げないように」だけはしてきました。時々自分のことは棚に上げて、聖人君子のように子どもに対して言う人がいますが、僕はそういうことは好きじゃない。それは長期的に見て、うまくいかないのではないかと考えています。だいたい自分はそんなに立派な人間じゃない。結局は子どもに見透かされますから。自分が子どもだったときのことを考えても、子どもというのは基本的にろくでもないことを考えたりやったりするものです。それはもう仕方がない。滑った転んだの中で学んでいくしかないんですね。最初からなにか制限しようとするよりも、基本的には子どもの判断に任せて、悪いことをやったら事後的な対処をするようにしていました。