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「世界は、遊びとはいえない殺し合いのようなキャッチボールなんだ」(大槻ケンヂ)

 ここで、ボクが数々の発言を引用したのは、この問題の大物芸能人の相関図を描きたいわけではない。

 大人の世界で、子供のいじめ問題を巡って、芸能界の大物による、これほどの舌戦が繰り広げられている事実を報告したいわけだ。

 一見、上下関係の掟、平和の均衡が保たれ相互扶助、持ちつ持たれつの芸能界ですら、この問題を巡って論戦となる。

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 例えば、時の権力者である、みのさんに発言された側は、現在の世論の流れからバッシングという、いわれ無きいじめをこうむるだろう。

 殿が、あえて口にする言葉だって、今の世論のなかでは、真意が汲まれず、デメリットの多いところの発言だ。

 逆に、みのさんだって、お笑い界を敵に廻す立場にだって立ちかねないし、生放送の直言ですら、失言と謗られる恐れすらある。

 こういう言葉を、今、蒸し返し、引用しているボクですらタレントとしてはデメリットが多い。

 しかし、つまりは、こういう意見が食い違い、言葉の飛礫が飛び交い、足を引っ張り合い、罪をなすりあい、人と人の軋轢が続くのが社会というものなのだ。

 競争を勝ち抜き、テレビの頂で、勝者の如く仕事をしている人ですら、思わぬ場所から思わぬ突風を受けかねない。

 大槻ケンヂの言葉を引用すれば、

「世界は、遊びとはいえない殺し合いのようなキャッチボールなんだ」──。

 いや、むしろ、頂に居る人こそ、世間の目に見えないそねみやジェラシーやら、集団的無意識に晒され、その高みから、何時引きずり降ろされても不思議ではない。

 そういう意味では、実体の無いいじめのようなものが、世間に付き物であることは否定のしようがなく、どこまで逃げても、付きまとうものだ。

 逆に言えば、みのさんや殿はテレビに晒され、「匿名」に逃げることなく、デメリットになりかねない発言を自前の言葉で語っている人たちだ。

「卑怯」な手法でなく、一言で言えば立ち向かっている。

 さて、いじめ問題に正論を掲げるテレビが、いかに建前なのか。

 先日、日本テレビ『ザ・ワイド』に乱入事件を起こしたばかりの、杉田かおるさんは、以下のような発言を繰り返している。

「杉田かおる、和泉元彌、中村獅童って、今、ずっと叩かれてるけど、3人共に共通するのは、もともと大手事務所でなく、家族事務所だから、ワイドショーで好き放題に叩かれる。そんな芸能界の強いものには巻かれる、弱いものいじめの構造があるのに、そのテレビが、いじめを正そうと正論ぶるのは欺瞞に満ちている!」

 この主張、それは彼女の行動を含め破れかぶれながら、実に的を射ている。

 そして、この指摘は、ボクが感じてしまう、テレビが呼びかける、いじめ問題の居心地の悪さの要因の一つだろう。

 さらに、「死なないで!」との言葉にも違和感がある。