お笑い界にも波紋するいじめ問題
例えば、2006年10月31日放送のTBS『朝ズバッ!』の生放送での司会者、みのもんた氏の発言が物議をかもした。
この日、スタジオには、杉並区立和田中学校の藤原和博校長が出演し、いじめ問題で、みのさんに問い掛けた。
校長 バラエティーの番組でよくお笑いタレントが、後輩を嘲笑してるっていうのが、よくゴールデンタイムにかかるんですよね。いじめられてる人は芸風だからって芸だっていうかもしれないんですが、嘲笑してるってシニカルな笑いが子供たちに蔓延してるんですよね。これだけはなんとかしてほしい!
みの ぼくはねえ、すごく感じます。これはねえ、ある関西系のお笑いタレントなんですよ。大物ぶって若いタレントを叩いたり蹴ったりするんですよ。それが画面に映るんですよ。それが非常に不愉快だし、やだよって。名前を呼び捨てにしたりでね、ふざけるんじゃないよって怒ったことがあるんですよ。ぼくはその番組絶対出ない! 二度とそんな奴らの番組に出ないよ!
今や、ギネスに認定されるほどの世界一忙しい司会者の発言なのだから、言葉の意味、影響力は大きい。
インターネットや週刊誌では関西系お笑いタレントが特定推測され、朝ズバのフリップ紙ハガシのごとく、その名前は露呈している。
しかし、さすがに関係者の調整もあったのだろう。その後、芸能界で事を荒立てることがなく、話題は大きくなることはなかった。
確かに、この発言、世間のムードを生放送で即座に代弁してみせる、みの節の真骨頂ではあるが、関西系お笑いタレントの立場で現在の風潮を考えれば、真正面からの反論すら憚られるような、実に斬られ損ではないだろうか。
そのなかで、この発言に対して、みのさんに噛み付いたのは、関東系大物タレント殿・ビートたけしであった。
『週刊ポスト』の連載コラムで、以下のように発言している──。
いじめ発言でもっと腹立つのが、お笑い芸人のギャグが子供のいじめの原因を作ってると発言した某番組司会者なんでさ。
最近のお笑い芸人の笑いはいじめギャグばかりで、子供が真似するからよくないっていうけど、お笑いは昔から予定調和のいじめギャグで笑わせてきたんでさ。
そういう言い方なら、オイラなんか全部いじめギャグで食ってきたんでね。
熱湯風呂なんてのは、全部ヤラセの演出なんで、本当に何十度もある熱湯だったら、みんな大ヤケドしてるぜってね。
ぬるいお湯をいかに熱く見せるかという、そのリアクションの芸がお笑いの芸なんだから。熱さを芸で見せてるってのがわかってないんだよな。
昔の親は利口だから、芸人の芸がわかってたんでさ。
あれは芸人がわざと痛そうにやってるお芝居なんだから、芸人のやってるバカなことを真似するんじゃないよって子供に説明したはずが、今は親までが本気でやってると勘違いしてるから本当にバカなんだよ。
オイラたちのギャグをウソでやってるというバランスのわかるヤツもいるけど、今の子供たちはバーチャルゲームで育ってきてるから、バーチャルと本物の違いがわからないんでさ。本音とウソのバランス感覚がなくなってるんだろうな。
オモチャのピストルで遊んだ経験のある子は、ドンパチやる拳銃映画を観ても映画の殺し合いはリアル感がないし、本物だと思わないけど、ゲームで育った子は本物の区別がつかないんでさ。
だけど、いじめギャグについてはコント55号の時代からあったんでね。
欽ちゃんが坂上二郎さんをいじめるギャグがあったからこそ、55号があれだけウケたんでね。
二郎さんを後ろから飛び蹴りしたり、舞台の端から端まで走りまわってセットを壊したりメチャクチャやってたんで、55号は二郎さんいじめのお笑いでもってたんだからさ。
その55号がダメになったのは、急にマジメなことをいい出して、ファミリーでみんな一緒に仲良くとか、24時間チャリティなんてやりだしたからなんでね。
でも、お笑い番組がいじめの原因だなんてのはお笑いに対する差別だよな。
それだったらヤクザ映画とか殺人ドラマはいじめの原因にはならないのかよってね。
サスペンスドラマじゃ、理不尽な殺人事件や通り魔事件、バラバラ殺人事件まであるんだから、人殺しはいけないってことになるだろうにさ。
お笑いで殺人をやったことは一度もないんだからね。
殺人ドラマには文句つけないでおいて、お笑いだけ取り立てていうのは笑えない冗談じゃないかっての。ジャン、ジャン!
(『週刊ポスト』2006.12.1号 ビートたけしの21世紀毒談)
後半の論旨を含めて、この発言が実に正論だと思う芸人は、ボクばかりではないだろう。
テレビのお笑いといじめに無理矢理にでも因果関係を認めるとするならば、そのあとには、公序良俗に則った、生ぬるいヒューマニズムが溢れかえるバラエティーと本来、社会に剥き出しに表出している悪意や差別が、まるで無いかのような無菌な建前だけが反映されたテレビ番組だけが残るだろう。
そんなテレビなどもはや、お笑いが生来包括するアナーキズムを表現する場として相応しくない、いや、むしろ、家族揃って見守れる番組と過激な横紙破りの番組も共にあってこそ健全なのだ──なんてことを、ボクが言うのも、これまた正論すぎるだろう。
しかし、ドラマや映画を差し置いての、このお笑い狩り現象は、お笑い、バラエティー番組の影響力が過去に比べて遥かに大きくなったからだ。
これは、かつてテレビのヒエラルキーの下位にあり、文化の辺境にあったサブカルチャーであったお笑いが、ビートたけしの出現と共に、この25年で世間に影響を及ぼすメインカルチャーの位置に上り詰めたからこそ起きる議論なのだと思う。